令和5年1月21日参拝
|*・ω・) どこかに山門とかあったのでしょうか‥?
駐車場から植木のすき間を抜けたらきれいなお庭が広がってて驚いた☆
満願寺は臨済宗建長寺派の寺院で本尊は観音菩薩、
三浦義明の末子にあたる佐原十郎義連が父義明の追善供養に建立したと伝えられてきましたが、
近年の発掘調査で境内から浄土庭園を伴う大型礎石のある中世寺院の痕跡が確認されたほか、
鎌倉幕府の最重要寺院である永福寺(廃)と同型の古瓦が出土するなど、
いくら重要御家人の佐原義連とはいえ寺院の規模が大きすぎることから、
鎌倉幕府主導で造営が進められてきたのではないかと考えられるようになってきているそうです。
観音菩薩立像など4体が修復にお出かけ中とのことで収蔵庫は休館中。
3月にはまた拝観が再開されるそうです。
収蔵庫だと横須賀美術館で見た時よりもデカッ!と感じるのではないかとすでにまた来る気まんまんです。
気持ちを切り替えていきましょう
三浦大介義明像の満昌寺で聞いたんです。
「あの仏像はね、観音堂の中にずっといたんですよ。まさか‥(鎌倉時代初期の運慶工房作品だったとは)ねぇ。」
子供の頃に西村公朝という人がやってきて仏像を復興するその過程を見ていたそうです。
修復のために小さな木片にまで解体された仏像を見てそれはそれは衝撃を受けたと、
だからこそ大切な御神体(大介義明像)を修復に出すのが心配といった様子で当時のことを話してくださったのが印象的でした。
観音堂の横にある五輪塔は佐原義連の廟所です。
矢部禅尼と三代執権がなぜ離婚して佐原義連の子にあたる佐原盛連と再婚したのか知りたい
三浦一族が滅亡した宝治合戦では多くの佐原氏が三浦方に付いたとされますが、
矢部禅尼の子たちは北条方として戦いました。
結果的に三浦氏の流れを佐原氏が残すことになったのは矢部禅尼の計算だったのでしょうか‥
満願寺の御朱印です。
ものすごい達筆✨
いつまでも眺めていられる。
他はどこ行っても「仏さま拝んでいってね」というスタンスのお寺ばかりで感動しました‥。
もともと仏さまを拝むところだと分かってるだけに閉ざされたお堂の扉に合掌🙏(関東は観音巡礼ですらそうだから!)していた今まで何だったんだろうと思ってしまった。
横須賀が大好きになってしまいました。
■岩戸山満願寺
神奈川県横須賀市岩戸1-4-9