令和4年6月3日参拝
徳川・松平氏発祥の地とされる松平郷です。
豊田スタジアムまで車で15分だったとは!
九久平町にあった石碑
よく三大東照宮なんて言いますけど、
わたしが勝手に選ぶ三大東照宮は最初のお墓と生誕地に発祥地(べたかな)。
① 久能山東照宮(静岡市駿河)
② 龍城神社(岡崎城内)
③ 松平東照宮
徳川家のルーツと考えたら世良田東照宮もありなのかもしれない。
しかし、さすがの徳川家もそこははっきりしてないみたいなのよね。
15時過ぎてて結構あせってました。
東照宮の後は高月院松平氏墓所→太郎左衛門家墓所を予定していて、
日が長いから墓所はあとでゆっくりお参りするとしてもお寺さんの閉門時間を考えると早歩きになってしまうよね。
おかげで松平まんじゅう買うの忘れた。
これがベストな手水の形。
御祭神は誉田別命・徳川家康公・松平親氏公、
ほか六柱です。
正式な社名が八幡神社松平東照宮だというのは現地で初めて知りました。
松平郷の起こりについては諸説あり‥、
第91代後宇多天皇に仕えた在原信盛が松平郷を開拓したと伝えられており、
領主は代々〝松平太郎左衛門〟を称しました。
拝殿彫刻に葵紋👀
信盛の子にあたる信重の代のこと。
松平郷に現れた徳阿弥という時宗の僧が還俗して婿養子となり太郎左衛門家を継いで松平太郎左衛門親氏と名乗りました。
この親氏(徳阿弥)を松平氏初代と考えるのが通説のようです。
この地に館を定めた親氏(徳阿弥)が屋敷神に八幡神を勧請し、
元和5年(1619)に館の整備を行った松平太郎左衛門家9代尚栄が久能山東照宮より徳川家康公の御分霊を迎えました。
親氏(徳阿弥)は徳川家の正式な系譜で新田世良田氏の末裔とされているので、
屋敷神に八幡神を祀ったというのも納得!
拝殿展示の丸瓦を見ると左は茎の部分がクイっと曲がってます。
愛知の三葉葵はクイっが多いと思いました。
授与品も葵紋の大渋滞でした。
名刺入れの開け方がちょっと変わった作りで買っとけばよかったと後悔。
家康公400年祭に奉納された天井画は松平郷で見かける草花が描かれているそうです。
御朱印を待つ間に案内していただきました。
松平東照宮の御朱印です。
墨書きは3種類の見本があった中で〝奉拝〟が普通にかっこよかったです。
松平郷館(資料館)は15時までだから見学できなかったけど絶対また来るから ( ;∀;)ノ
風で揺れる葉っぱと水の音しか聞こえなくて癒される〜 (*˘◡˘*)
のんびり涼んでたら友達が妙に急かすもんで高月院へ向かいました。
◆八幡神社松平東照宮(松平東照宮)
愛知県豊田市松平町赤原13
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ちょっと時間を飛ばして、
[高月院]のあとに松平太郎左衛門家の墓所へ行ったお話を。
初代親氏の銅像がでかいでかい!
なんだか西洋風だね。
リーダーシップをとる場面だね〜なんて言いながら見学 👀
では行きましょうか。
なんだか登山口みたいな雰囲気ですが。
この日一緒のお友達は猪苗代と会津でおまいりの間に突然ハイキングを盛り込んできた人なので今回もヤベェ!と思ったけど‥、
ちょうど5分ほどで墓所に到着ε-(´∀`; )
軽く100mの山登りでした。
こうして太郎左衛門家のお墓に来てみると、
他のナントカ松平家とか徳川家康の日光とかなんであんな山の上にお墓があるのとかいう理由がわかる気がする。
案内板によると、
初代親氏・9代尚栄は高月院、
3代信広・7代親長は晴暗寺の裏山に墓所があって、
ここは11代信和以降の当主の墓所だそうです。
太郎左衛門家は大正時代に東京へ引っ越したということですが、
墓誌を見るとつい最近も埋葬されてる方がいらっしゃいました🙏
帰りに上から見た親氏かっこいい!
ヤマアジサイが可愛く咲いてました。
■松平太郎左衛門家墓所
愛知県豊田市松平町日影前