令和4年6月3日参拝
豊橋市から蒲郡を抜けて岡崎市の手前で幸田町に寄りました。
〝三河のあじさい寺〟で有名なお寺ですがまだ見頃じゃなかったんだよね。
檀家墓地の入り口はちょぼちょぼ咲いてる
えっ‥
てかこれは咲いてたらすごい。
次の週末にはいい感じだったんじゃない!
そもそも目的がお花ではなく墓所見学なので切り替えてこう
咲いてないけど振り返る👀
本光寺は曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来です。
大永3年(1523)深溝松平初代忠定が希声英音を開山に迎えて創建しました。
*始祖については諸説あり
深溝松平家は初代忠定が三河国深溝郷を本拠地としたことに始まる一族で、
6代忠房以降は肥前国島原藩主として島原に転封して幕末を迎えます。
島原藩主なら菩提所は島原じゃないの?
そう、そこなんだよね。
突然の五輪塔は深溝松平13代忠侯室とされる天妙院。
状態の良さにただ驚く。
本堂は改修工事を終えたばかりのようです。
新築の香りがする〜。
ここからは廟所ゾーンです。
だいたいの位置関係を下の図にした。
西廟所から行きます (๑´▽`๑)ノ
位牌堂は非公開のようです。
位牌堂(非公開)
そして5代忠利をまつる肖影堂は改修工事中。
ここ何年か(御開帳でさえ)非公開が当たり前な巡礼ばかりしてたので慣れっこよ。
廟所ヲタな友達が「ここは見せたかった」とすごく悔しがってたのできっとハイレベルな廟所なんだと思う。
完成が楽しみです✨
肖影堂(解体中)
続きまして、
西廟所は深溝松平家の始祖をはじめとする一族のお墓になってまして、
右から初代忠定・2代好景・3代伊忠・4代家忠。
西廟所初代〜4代
銘板。
その周囲に一族の子女や家臣の墓が並びます。
使用される石材が多岐に渡るのは各地からの改葬であると考えられています。
肖影堂のお隣に独立した墓が👀
11代忠恕は島原藩主の時代に雲仙普賢岳の噴火で藩政が大混乱したことを先祖に恥じて、
自分の墓は歴代藩主を葬る東側ではなく西御へ築くよう遺言を残していたそうです。
西廟所
結果的に特別感が出てますがご苦労された分遺志を尊重して差し上げたいよね(ひとんちののことながら)🙏
11代忠恕の墓
今ので2割かな‥。
続けて東廟所へ行きます
あじさいを楽しみながら。
墓所の石段を登ってる時のわくわくがたまらなく好きです。
会津松平家墓所クラスになるとキツイけどここはたったの2分で着いちゃいます。
そうそう、
深溝松平家墓所のすごいとこは当主がどこで死んでも遺骸を取り寄せて先祖発祥の地である本光寺に葬った点なのです。
それが5代忠利の遺言だったそうで、
法要の回数もかさむし輸送にかかる費用・人員を考えたら、、
∑(๑º口º๑) 言葉を失う規模‥!(全部写ってません)
東廟所6代〜19代
6〜12代の墓所を築いたのちに山側へ墓域を広げて13代以降の墓は高いところに作っています。
どれがどの方というのは現地に行けばわかります。
高いとこから
土塀がモロッと崩れてるのは昭和20年の地震が原因らしくて随分と耐えております。
神殿型の墓石が全部同じかというと、
微妙〜に仕様が違う点があって改良なのかな〜とか考えるのおもしろかったです。
中には割と最近の歿年が刻まれていることに驚きました。
いい写真は撮れなかったけどすごい墓を見せていただきました!🙏
墨書きしながら書き手さん、
「赤と青と‥どっちが好き?ふふふ」
「赤かなぁ(ハッ!)」
こちらもあじさいスタンプ入りでした。
本光寺は椿の名所でもあり500種類が植えられていると言われています。
時期外れに大好きな絞りのツバキを見れるなんて帰り際にご褒美いただいた気分です。
◆瑞雲山本光寺
愛知県額田郡幸田町深溝内山17