平成29年9月11日参拝
奈良たび二日目は和歌山県へ移動☆
印南町 海が近くていいところです!( ´◡`)
奈良から車で3時間くらいかかったかな〜(寄り道多し)。
御祭神は天照大神尊・天忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦火火出見尊・鵜茅葺不合尊と五代の神が祀られているので通称〝五体さん〟だそうです◡̈
六代目は神武さんですね。切目は万葉集に詠まれています
社伝によれば創建は第10代崇神天皇の67年と伝えられています。
天正の兵火(1585)で社殿を焼失し西ノ地太鼓屋敷より現在地に遷座しました。
かつては切目王子社と称し九十九王子の中でも特に崇敬される〝五体王子〟に数えられ、
皇族をお迎えするための御所御殿を備える格式の高いお宮でした。
九十九王子とは熊野権現の御子神を祀る王子社のことで熊野古道に点在し、
参詣者が旅の安全祈願をする休憩地点でもありました。
切目は中辺路(山岳ルート)・大辺路(海岸ルート)を目前に控える紀伊路の分岐点手前にあり、
長く険しい熊野詣における重要拠点だったと考えられます。
平安期には修験者たちの熱心な勧めで熊野御幸が盛んになり、
熊野信仰の高まりとともに切目王子にも多くの皇族・貴族が参詣しました。
延喜7年(907)の宇多法皇にはじまり、
花山法皇・白河法皇・後鳥羽上皇も切目王子に訪れています ٩(๑′ᗜ ‵๑)۶
正治2年(1200)12月3日切目王子の御所御殿にご宿泊された後鳥羽上皇御一行が御歌会を催しそれぞれ懐紙に和歌をしたためた切目懐紙は国宝指定され西本願寺が所蔵しています。
また、切目王子で反乱の報せを受けた平清盛は熊野参詣を取りやめ急遽帰京したという伝承があります。
(キリがないのでこの辺で‥
平成29年5月に38年振りとなる檜皮葺屋根の葺替え工事が竣工したばかりでピカピカの御本殿.:*☆
美しくて見とれてしまいました〜♡
これを見にきた!( ´◡`)地宗神社(猿田彦神・保食神・市杵島姫神)
* 実物は印刷ではなく手書きのものでした
第96代後醍醐天皇の第三皇子護良親王は父上の率いる討幕計画に協力して活躍、
新政府で征夷大将軍になるが足利尊氏と対立し鎌倉で薨去なさいました (∩´﹏`∩)
建武2年(1335)より末社に祀られています。
大塔神社(護良親王)境内の隅に置いてあるこの大〜きな石は、
天保7年(1836)に神祇碑建立のため当時の氏子衆が切目の海中より漁船と大網で引き上げたものです。
天保7年は一揆で忙しくて神祇碑どころじゃなくなっちゃったのかな‥??
実はもう一体‥本務神社でいただいた切目神社の御朱印ですっ!
こんなカッコイイ御朱印ってある?
* 本務神社の大歳神社でいただきました
御神木のナギ
切目王子にはビッグネームにまつわるエピソードが多く皇族方を夢中にさせた〝熊野〟のすごさを改めて実感しました!
こっち(東京)は日本武尊・源頼朝・太田道灌ばかりだもんね。
いや、皆さん大物ですよ!しかし、
やっぱ西日本の神社すごいなーと。
◆切目神社(切目王子社)
日高郡印南町西ノ地328