【御朱印なし】
平成29年7月15日参拝
難読地名〝櫟本(いちのもと)〟にやってきました ε(๑´▽`๑)ɜ
この辺りには櫟井(壱比韋)臣と称する氏族がいたので櫟(イチイ)の巨木があったことに由来する地名ではないか?と伝えられています。
こりゃ立派なブロンズ狛犬さん。
ナニー!(゜□゜*) 本殿国宝!!
鳥居をくぐってすぐの縦拝殿は御仮殿だと思います。
延喜式神名帳(927)に記載される大和国添上郡の和尓下神社二座の比定社です。
二つの和爾下神社は竜田道(県道192号線)沿いに約2.5km離れて鎮座しており、
天理市櫟本が上治道天王、
大和郡山市横田が下治道天王と呼ばれていました。
治道とは‥古い官道の名前です。
大和と河内を結ぶ竜田道を治道と呼ぶ時代があったようです。
ここ無人社なんですけどね、
無人にしといていいの!?って思う程、
長い参道あるし結構な規模の神社でした。
最後に急な石段を登りまーす。
ここは東大寺山古墳っていう前方後円墳なんですって。
現地では墳丘のどの辺りが円墳部分なのかは全く分からずでした。
ぼこぼこで歩きづらかった。
手水盤に木瓜紋!
水‥出ない ( θ ϖ θ )
御祭神は大己貴命・素盞嗚命・稲田姫命です。
お祭りは祇園祭です!元々は和爾氏・櫟井臣・柿本臣などの祖神とされ第5代孝昭天皇の皇子にあたる天足彦国押人命(あまたちひこくにのおしひとのみこと)と日本帯日子国押人命(やまとたらしひこくにのおしひとのみこと=第6代孝安天皇)が祀られていたそうです (゜□゜*)
和爾氏は春日郷に移り住み春日臣を称するようになる
|ω・) 桃山様式を備えた切妻造の本殿(写真右)は国重文に指定されています。
境内には和爾下神社の神宮寺だったとみられる柿本寺跡がありまして‥、
って何もないんですけどね。
石室の天井石ですと?
わたしこんなとこ歩いてて平気??