平成29年1月12日参拝
たまたま通りがかった長崎梁川郵便局で風景印をもらったのです (n´∀`n)
図案は長崎ロープウェイと紫陽花と、、
天女廟(てんにょびょう)? ハテ。
\\\ 神社 ////
それ以上の事はわからないご様子なので、
なんなら参拝しようと淵神社へ!
天正年間(1573)長崎でキリシタン教徒が活発だった頃にいろいろあった神社なんだって。
〻 (-᷅_-᷄๑) 境内を歩いてると上からあられのような何かがバタバタと降ってくるのです。
足元に落ちてるのはクスノキの実 Σ(`Д`)!!
こんなもん服に着けたり踏んづけたりしたら大変だわわ〜。
参道の途中には幼稚園がありました。
名称は縁起良く宝珠幼稚園!w
つーことはココはお稲荷さんなの?
いい環境ですなあ!
御祭神はたくさんいらっしゃいます。
田心姫命(たぎりひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たぎつきめのみこと)
相殿に‥
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
菅原大神(すがはらのおおかみ)
金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
お稲荷さんいない延命寺の開基龍宣が宝珠山万福寺を建立し、
その鎮守社として祀った弁財天に始まり、
明治維新までは裏山の宝珠山山頂に虚空蔵菩薩と玄武神、
現社地の辺りに弁財天を祀る妙見社でした。
キリシタン大名の領地だった長崎市内では大量の神社仏閣がキリシタン教徒によって破壊され長らく荒廃していました(´・ω・`)
寛永11年(1634)万福寺と弁財天を再興し、
淵村の総鎮守としたのが稲佐弁財天社(旧社名)です。
明治の神仏分離令では、
御祭神を宗像三女神として淵神社と改称、
原爆の災禍に遭いながらも社殿を再建し今日に至ります。
淵神社 拝殿お稲荷さんはここにいました!
宝珠稲荷社は豊川稲荷大神、
高木稲荷社は長崎の代官 高木家の邸内から三菱長崎造船所所長の邸内社に引き継がれ、
昭和56年に現社地へ遷座されました。
桑姫社 宝珠稲荷社 高木稲荷社桑姫社の御祭神は、
キリシタン大名 大友宗麟の孫にあたる桑姫(マキゼンシア)です。
豊臣秀吉の九州征伐で隠匿生活を送りながら近隣の方に機織りを伝えたそうです。
桑姫の墓石は社殿の下の格子越しに見えてます。
こちらも桑姫社の祠のようです。
旧祠?
小高いとこの祠群は十二支(えと)神社です。
6基の祠で12支が合殿になってました。
元禄6年(1693)に長崎奉行川口摂津守から奉納された石灯籠は、
元は海辺だった参道入口にあったのが境内整備で移転されました。
この旅で忘れられないもののひとつ。
淵神社の御朱印です。
* 書置きなし 御朱印帳忘れずに!
ところで風景印の天女廟、
天女とは桑姫のことだったのですね。
神職さんに何度も聞いて境内をものっすごく探しました。
風景印の廟碑とは形がかなり違っていたため見つけるのに時間がかかりました〻〻
◆淵神社
長崎県長崎市渕町8-1
*
帰りは旅の余韻に浸りながら長崎駅まで時間をかけて歩きました。
景色を見ながらゆっくりと ◡̈
浦上川にうわさの軍艦島ゆき船が停泊しているのを見て日本の端っこに来てることを実感!
いつか行きたい軍艦島20分程で長崎駅に着きました!
また来るよ、長崎 (*˘◡˘*)
一泊二日の長崎たびはこれでおしまい (*˘◡˘*)
今回は日本らしい長崎を見てきました。
安土桃山時代から外交を開始して以来、
ずっと外国を意識してきた長崎。
わたしの周りにいる長崎人はグロ〜バルな生き方をする人が多いですよ。