平成29年1月12日参拝
路面電車「浦上駅前」電停で下車、
山王神社の鳥居を見にきました。
山王鳥居じゃないですよ、
長崎の片足鳥居ってご存知ですか‥?
山王神社参道の石段は『爆心地』の南東800mになります。
石段の上に見えるのが片足鳥居。
別称は山王鳥居・一本足鳥居・被爆鳥居など‥
これは今まで見た中で一番ショッキングな鳥居でした‥ ( p′︵‵。)
残された貫の角度が熱波で変形しています〻〻
焼野原にポツンと残ったこの片足鳥居は、
ここで72年間長崎の復興を見守ってきたのですね ( ;∀;)
現在は多くの建物に囲まれています!
爆風で倒壊した二の鳥居は保存のため参道の端に寄せられてました。
横にすると大きいねえ
額の〝浦上皇大神宮〟は明治以降の社名です。
一本足鳥居は大正13年(1924)に建立されました
街角の慰霊碑に手を合わせながら‥
山王神社に到着 ٩( ・̀ω・́ )و
JR浦上駅・浦上駅前電停より徒歩10分そこにネコさん登場。
すごく体がかゆそうなネコさんでした。
境内入口の大きな木は被爆クスノキといって、
長崎市の天然記念物に指定されています。
熱線でやられた裸の大クスが緑を取り戻した!その生命力は人々に感動を与えました。
推定樹齢5〜600年寛永15年(1638)島原の乱帰りの松平伊豆守信綱がこの地を通りかかり、
景勝が近江叡山と似てる上に地名が同じ坂本って事にビビッときて社殿を建立し、
山王権現(大國主命・大山咋命)を勧請したそうです。日吉大社の住所は大津市坂本
明治15年、
台風により大被害を受けた日吉神社(旧社名)は再建が難しく県社の皇大神宮(明治元年創建)に吸収される形で合祀となり、
浦上皇大神宮と改称されました。
現在の御祭神は、
正殿天照大御神・豊受比賣神・大山咋神
左座大物主神・伊邪那岐神・高皇産霊神・神産巣日神・天御中主神・大年神
右座経津主神・建瓶槌神・御代御代皇御孫神
です。
二つのお宮さんが一緒になって大所帯に!
さよなら〜。
境内で行われている発掘調査の目的は、
〝原爆遺跡〟を発見し文化財として保存しながら語り継いでいきたい、
という事らしいです。
学芸員のお姉さんありがとうございました<(_ _)>
2月に西日本新聞で地中から被爆クスノキの根とみられる炭化した木片が発見されたと報じられていたので、
もしも被爆の痕跡があれば新発見となるわけで調査結果が楽しみです。
山王神社の御朱印です。
日吉神社が皇大神宮に合祀され浦上皇大神宮と称したのは明治15年からです!
そんな昔の御朱印をいただいた気分♡
ところで、
いきなり二の鳥居から入ったのには理由があって、
一の鳥居(昭和10年10月に奉納)も爆風に耐え原型のまま残ったのに、
昭和37年3月の交通事故が原因で解体されちゃいました ꒰꒪д꒪|||꒱ガーン
銘版では一の鳥居が無いことについて交通事故には触れず、
〝昭和37年3月忽然と姿を消した〟と書かれているのは銘版を作った地主さんの優しさ (`Д`)
そこに偶然通りがかった歴史の証言者が一の鳥居のあった場所を教えてくださいました。
その方が中学生の時までは建っていたんだって ∑(๑º口º๑)!!
指を指しておられるのは二の鳥居の場所です下の写真は山王神社を向いて立ってます。
この十字路の手前に一の鳥居があったそうです。
形は無いけど忘れてほしくない鳥居 ( ˘ω˘ )
◆山王神社
長崎県長崎市坂本2-6-56