飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社(明日香村) | ハニーちゃんがゆく!

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【御朱印なし】

飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)は飛鳥川上流の稲淵と栢森の宮山中腹に鎮座しています。

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飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社。
社号長過ぎるでしょ 三 (lll´Д`)
日本一長い社号だそうです!

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▲社号標も長いYO!

現地では社号の長さに何事かと。
しばらく「あの社号長いトコ」って呼んでたw
冷静に「飛鳥川の上流に鎮座する宇須多岐比売命(うすたきひめ)の神社」と理解してからやっと記憶できました(`Д`)

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▲常夜灯デカッ

石段を登らなくても車でピュッと上まで行けると勝手に考えてたけど無人社がそんな整備されてるわけがなく。
「石段登りたくない(⌇ຶД⌇ຶ)」
「(^ω^)上まで行ったら終いや!」
「‥逝ってきます(`Д`)」

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‥というわけで覚悟を決めて。。
ちょ〻〻この石段 (((((´ω`;)
これ見えてるのまだ半分だからね。

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石段の幅が狭くて上の方は23.0cmのわたしの足でも斜めにしないと歩けないほど。
コワイから振り返らず一番上まで登り、
最後下を見て震えあがりました〻〻←高所恐怖症

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▲ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

既に太ももパンパン。
まだ‥結構キツイ坂道が続きましてやっとこ鳥居が見えてきた。
全然‘上まで行ったら終い’じゃないんですけどw

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御祭神は宇須多岐比売命神功皇后応神天皇です。
宇須多岐比売命も古事記に出てこないのだ。宗像の沖津宮の御祭神 多紀理毘売命と名前が似てるけどもしや同一?
こちらが宇佐宮とも呼ばれているのは勧請元が宇佐八幡なのかしら。
宇佐と多紀理毘売命で宇須多岐比売とか?

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▲拝殿

めちゃくちゃいい雰囲気~(*´Д`人)
いつもの感じで本殿を覗きに行くと瑞垣の向こうに社殿がない!
こーゆうの遥拝造りというそうです。
こちらの御神体は後ろの山なのだと分かりもう一度拝礼しました。

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天水桶は美味しいお米が炊けそうな御釜です〻〻
もちろん御釜は対でありましたw

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帰りもあの石段を降りてくのやだなーと思ったけどこんな山道に入る勇気はありませんで、結局あの石段から(⌇ຶД⌇ຶ)

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足パンパンなったよー。
よいお参りでした!

✳︎

『神社東方の大字畑に「ウスタケ」の小字が残る稲淵は皇極天皇が雨乞いをした南淵の河上。
明治初年までは「本なもで」と称し神社で行われ、
その後は南淵請安が眠る旧談山神社で「仮なもで」として行われた。
明治 43 年(1910)に稲渕の談山神社、畑の八幡神社・談山神社が、翌年に は入谷の大仁保神社が併合された。』

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▲旧談山神社

そんなわけで南淵先生のお墓に連れてきてもらいました。

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南淵先生は漢系渡来氏族出身の知識人で中大兄皇子と中臣鎌足は南淵先生の塾に通いながら蘇我氏打倒の計画を練ったらしい。

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▲南淵先生のお墓

南淵先生すごい方だったのですね(`人`)