この強烈なイラスト、どこかで目にした人も多いと思います。
ジャケットと中身のイメージがマッチするアルバムはそうは無いものですが、これは完璧に合ってます。
キングクリムゾンの「クリムゾンキングの宮殿」です・
一曲目の「二十一世紀の精神異常者」。この曲はまさにジャケットの絵そのものです。
このアルバムのタイトルがかすむほど、「二十一世紀の精神異常者」のインパクトはものすごいものです。
このアルバムは1969年リリースです。もう36年も前の話し。
(まだコンピュータはおろか電子計算機も電卓もファックスも無かった時代です。)
ボクが大好きなメロトロンも全開ですし、こんな昔にこんなにハイなギターサウンドを鳴らしていたなんて、リーダーのロバート・フィリップは天才です。
彼の天才振りを裏付けるデータがあります。
あんまり詳しいことは知りませんが、当事のイギリスのヒットチャート新聞の一位に、ビートルズのアルバムが長いこと何週間も居座っていたんだそうです。その一位の座を奪ったのがこのクリムゾンキングの宮殿だったそうです。
ロバート・フィリップは打倒ビートルズを狙って最強メンバーを集めてこのアルバムを作りました。
ビル・ブラッフォード、グレッグ・レイク、イアン・ギラン(ウソ)など、そうそうたるメンバーです。
このアルバムが成功しなかったら、その後のプログレ市場の売上は半分もいかなかっただろうと思います。いえそれどころか、プログレという言葉そのものが今残っていないかも知れません。
いくらキース・エマーソンがハモンドを押し倒したところで、それはパフォーマンスでしかないから、2度3度は通用しませんし、今やってくれと頼んでも、ぎっくり腰になるのが関の山です。だからレディース&ジェントルマンではやってないでしょ?
だけど、このアルバムは今でもえらい勢いで売れています。紙CDジャケット仕様とか売り出すと、プレミアがついているらしい(5/14時点アマゾン)。
うーん、ロックって儲かるんだなぁ。
儲かると言えば、ロバート・フィリップがエマニュエル婦人と裁判で争ったという話し、知ってますか? 結果はロバート・フィリップの勝ちだったそうです。
何で争ったかというと、映画の挿入曲が、ラークス・タング・イン・アスピック(USAライブの2曲目:太陽と戦慄パート2)の盗作だというのです。ボクもあの映画を見て、そう思いました。
どんなシーンかと言うと、旅客機のファーストクラスで、周囲に他のお客さんがいるのに、2つ並びのシートを倒して若い男女が派手にイチャイチャするという、当時としてはハイソでハイセンスで想像を越えた羨ましすぎる美しいエロチックでした。
えーっと、何の話しだっけ?
あークリムゾンキングの宮殿でした。。
訳がわからない曲も入ってますね。I talk to the windとか歌っている曲とか。ああいう叙情的なものを、イギリス人は避けて通れないんですかね。
そういうものの処理は、当時のジェネシスが突出して上手ですね。
でもラストのエピタフ、これは良く出来ています。かっこよすぎます。
グレッグ・レイク、太らなければかっこよかったのですが。。。
誰もがどこかで耳に目にしたことはある言葉だけど、何のことだかよく分からないタイトルですよね。
多分「活動と休息」とか、「緊張とリラックス」といったことの説明に出てきたと思います。
でも、何故ボクのブログで扱うのか、、、、そこには、音楽と深い結びつきがあると分かったからです。
先日ボクは、精神的現代病?で、しばらく会社を休みました。
精神科で薬をもらうのと並行して、妻が聞きつけてきた評判の鍼灸院にも通いました。
鍼灸院の先生が言うには、ボクの状態は自律神経失調症だというのですね。
ヒトには交感神経と副交感神経があって、それらは内臓の働きをコントロールしているが、みぞおちの下辺りに太陽神経層という神経が束になっている部分があり、あなたは体力筋力が落ちていて太陽神経層を圧迫してしまって自律神経失調症になっている、といった説明でした。
神経の束を圧迫するというのは、確かに身体に悪そうです。明らかに病気と感じるようになってから、体力が落ちたのも事実です。
ですけど、交感神経と副交感神経との関連は??です。
おかげさまで西洋医学と東洋医学の両方のお世話になったので、病気はもう概ね治まっています。
ようやく交感神経と副交感神経について調べてみる気力が湧き、あれこれ調べてみて、驚きの事実がわかってきました。
ボクが掛かった精神的現代病は、一般には仕事のストレスから来ると言われる、いわゆる「あれ」ですが、自分的には仕事だけではなくて、音楽やその他の趣味までもが関与している様に感じられて仕方なかったのです。
でも、好きな趣味のことをやって、どうしてストレスになるのか、そこのところが釈然としなくて、調べまくったのでした。
まず一般的に言われていることを説明します。
神経には「随意神経」と「不随意神経」があります。前者は手足などの身体運動や呼吸のコントロールをする神経のことで、自分の意志で動かせる神経ということです。後者は心臓や消化器など、自分の意志でコントロールできないものをコントロールしている神経です。
次に交感神経と副交感神経ですがこれらは両方とも不随意神経です。これらの代表的な働きとして、前者は身体を昼間の活動状態にし、後者は夜の睡眠状態にします。
現代ストレス病になってしまうと、夜になっても交感神経が働きっぱなしになってしまって、不眠を訴えるといったことになります。
また、趣味や音楽は休息のリラックス系ですから、副交感神経を刺激して穏やかな気持ちになると言うことです。
ここまでが一般論です。
ところがボクは、どうやらもっと複雑なことになってしまったようなのです。
軽い音楽を楽しむ分にはリラックス系かもしれませんが、もっと緊張感がある音楽を一生懸命創作すると、交感神経と副交感神経を両方とも活性化させてしまう様なのです。
相反する神経を両方逆立てて創作活動をする。これがまずかったみたい。
遊びでやっていれば良いのでしょうけど、期限があるライブの準備やリハーサルとなると、遊び100%では済まなくなってきます。お客様の副交感神経を満足させるには、こちらは交感神経を使わなければいけませんし、でも副交感神経も使わないとお客様と共鳴できません。
自分の副交感神経が満足する音を、交感神経を使って探していく。こんなことを副業のサラリーマンと並行してやっていたものですから、自分でも気付かないうちに病が進行していたようです。
交感神経と副交感神経の両方を同時に活性化させた状態では、疲労がハイペースで進行します。まぁ当然だよなと思います。たちが悪いのは、疲労しても満足感が高まるものですから、麻薬的にまた次のお題を探し回ってしまうんですね。そしてどんどん疲れていってしまう。
ここに書いたようなからくりとは気付いていませんから、一時期ずいぶんと無茶をしました。
昼間に副業のサラリーマン稼業で交感神経を使い果たしているのに、これは遊びでストレス発散だからと、両方の神経を酷使する本業のギタリスト業を夜や休日に連続してやっていました。
それから、音楽だけでなく、もしかしたらちょっとしたお小遣いになるかもしれないというネタがあって、ここ一年間、開発系電子工作も手がけていました。これも半分遊び気分と言いつつ、完成してうまくいったら「結構な収入になるかも」と夢を描き、これがある意味大きなプレッシャーになっていました。
実際、楽器を売ってお金を工面して、部品や工具を買ったほどですから、後には引けないという気持ちがあります。
仕事から帰った後で、夢を見ながら開発を進めるのも、両方の神経を使っていたようです。
仕事以外でこんなことを続けたものですから、病気になってしまいました。
でも、病気になった当初はどういうからくりで悪くなってしまったのか、どうもピンとこなかった。
調子が悪いので、ただじっと頭を低くしていたのが、かえって悪かったみたいで、体力を落としてしまいました。
でも、もう大分良くなったから、大丈夫でしょう。
病気のからくりもわかったことですしね。
芸術家や発明家にはキチガイが多いというイメージ、ドタバタマンガのネタにも良く出てきますよね。
それは、それはここまでに書いたように、交感神経と副交感神経を、両方同時に使わないといけない性質の職業だからなのではないかと、思えてきました。
ボクは凡人なのに病気になって、、こういうのを「身のほど知らず」っていうんですね。
先日のGW連休中に実家に遊びに行きました。
両親とも音楽好きで、アマチュアオーケストラで父はオーボエを、母はファゴットを演奏しています。
母は、リコーダーアンサンブルにも参加していることは、4/25に書いた「ドルチェ」でもご紹介しました。
母から、「ギターで伴奏してほしい曲がある」と言われて、譜面とmidi演奏(コンピュータ自動演奏=通信カラオケと同じ原理です)のカセットテープを渡された。
「ラウラに寄せる夕べの想い(KV523)」という曲です。初めて聴きました。
これを、ギターとアルトリコーダーでデュエットしたいということです。
帰宅後ちょっと取り組んでみたけど、鍵盤楽器で伴奏する譜面なので、大幅に音を減らさないとギターでは演奏できないことが判明。
しかも、リコーダーパートのフレーズと対位するフレーズが随所に出てくるので、そういう音は省けない。
そういう音を省かずに、ベース音を鳴らすのは、ボクの腕では不可能!!
8小節まで進んで、投げてしまいました(笑)
しかし、意地があるので、ナニカ別の音楽に仕立て直すアイデアを考え、再チャレンジしたいところであります。
これは母のリベンジではないかと思うのです。
以前にボサノバの曲を2つ、母に選曲してもらって、二人で人前で演奏したことがあります。
耳慣れた曲だから簡単にできると思ったのでしょうけど、残念ながら結果は芳しくありませんでした。
ボサノバのリズム感、特に独特のシンコペーションをナメテはいけないのです。
今回の選曲は、このときの仕返しに違いないのです!(笑)
モーツァルトの音楽は、よく耳にはしますが、自分で取り組んだのは初めてです。
なるほど、天才型の天才と言われるゆえんが、良く分かります。
多分、その当事としては最先端の音楽だったのだろうな、と想像がつく仕掛けが、色々してあります。
その仕掛けは、現代のポップスに通じるものがあり、だけど如何にもクラシック音楽と言える、ボクの耳にはなんとも中途半端なものに感じました(良い表現がみつからないです)。
もし、モーツァルトが現代に生まれていたなら、どんなに素晴らしいポップミュージックを創っただろうかと想像すると、ゾクゾクッってしますね(笑)
現代でもクラシック音楽を作曲している(変な表現ですね)方は沢山いらっしゃいますが、モーツァルトが現代に生まれたら、クラシックではなく、ポップスをやっただろうという想像は、容易につきますね。
ボクの課題曲も、「もしモーツァルトが現代に生まれていたら、こういう風に作曲したのではないか?!」って、アレンジできたらかっこいいのですが、、、ボクの能力では、無理ですよねぇ。。。