個人が主役のパーソナルインターネットテレビ局 Telebee(てれびぃ)

東京都民でもないくせに東京都知事選の政見放送を見ていた私の目に飛び込んで来たものは、まるでカンフー映画に登場するザコキャラ役のような男だった。

彼の主張を聞いた上で、私がまず感じたのは「NHKおつ」ということだ。
政権放送の冒頭では「公職選挙法に基づいて候補者が作成した映像をそのまま放送します」というアナウンスが流れる。
NHKは編集の権限がなく、VTRに対する責任の所在を明確にするためのアナウンスだろうと思う。しかし、最後に思いっきり中指を立てる映像を放送しなければならないNHKが何を感じたのか、担当者の率直な意見を是非とも聞いてみたい。
ただ流すだけならまだしも、候補者が用意したと思われる紹介文を読まされているアナウンサーもご苦労なことですw

肝心の中身については、「多数決をすれば多数派が勝つに決まっているじゃないか」という彼の心の叫びに少しウケつつも、確かに少数意見をどうやって扱うかという問題は難しいものだと感じたりもした。
多数決で決まったことに対して参加者全員が責任を持つというシステムには、確かに改良の余地がある。また百年単位でものを考えると、多数決や選挙でものを決める時代というのは、人類にとってもしかしたら短い一時代に過ぎないかもしれない。もっと誰もが幸せになれる方法が、もしかしたらどこかに存在して、私たちは将来そこに到達出来るのかもしれない。

方法論はどうかと思うが、多数の横暴を是とせず、理想を追い続ける姿勢は理解できる。しかし惜しむらくは、外山候補のどこがどんな風に少数派なのかさっぱり分からなかったことだ。
いったいどんなマニアックな趣向を持っているのか多少気になるw


ところで、特定の候補者の政見放送をネット上で公開することが問題になっている。「特定の候補」というのは要するに外山さんのことなんでしょうが・・w
公平性を保つためということらしいが、選挙というのはつくづく気を遣わせるイベントだと思う。

この事をくだんの論理に照らして考えると、政見放送VTRをネットから排除する動きも多数派の圧力だと言えるのだろうか。
いや、そこまで行くと明らかに被害妄想だ。少数派が被害妄想に陥った様ほど見苦しいものはない。そのような人々は、自分で勝手に作り上げた少数という境界線の中に閉じこもり、逆に多数派を差別しているだけだと私は思う。


かく言う私もオリエンタルラジオやタカアンドトシよりも「おぎやはぎ」のほうが好きだ。つまり、少数派の一員だ。
せっかく貴重な少数派になるのであれば、開かれた明るい少数派を目指したいものだと私は思います。



この外山恒一という候補者の政見放送、まだご覧になっていない方はYouTubeでどうぞ。いつ消えるか分かりませんが。
ttp://www.youtube.com/watch?v=5Tg5H3fz39M
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毎年3月末ごろになると、沢山の特番が組まれレギュラー番組が「なり」を潜める。
私はいつもの番組が見られないのが寂しかったり、特番がつまらないと感じることが少なくないため、あまりこの時期が好きではない。しかし「世にも奇妙な物語」が放送されることを知ると、どうあっても私は見てしまう。

もともと私は軽いオムニバスが好きなのだが、世にも奇妙な物語を見ていると、それぞれのストーリーをもっとふくらませて、1時間くらいに引き延ばしてくれないかと思うこともある。各々、粒ぞろいでもっと見たいと感じる。
そして毎回、最終話にほろりとさせるストーリーで締めるあたりも心憎い。

いつもこの番組は私に非常に深い印象を与えてくれるのだが、ここ数年内であれば中村獅童主演の「遠すぎた男」や、田中美佐子の「家族会議」、堂本光一の「昨日公園」といったあたりが思い出される。そしてなんといっても私がおすすめするのは、酒井敏也の「イマキヨさん」だ。これはたぶん一生忘れないw
もし機会があれば是非見てみてください。

ところで世にも奇妙な物語は、番組の作りから見て明らかにトワイライトゾーンを意識していると思われる。
私自身はトワイライトゾーンをあまり見ていないが、原作となっているミステリーゾーンは何度も読み返した。先日放送分の最終話「回想電車」などは、非常にミステリーゾーン色が強いと感じる。

少しだけアンチテーゼを盛り込んだり、寓話調に仕立て上げられた作品は、星新一のショートショートを思い起こさせることもある。先日の放送分では「才能玉」に強く星新一の風味を感じた。

思えば、私にとって読書の入り口は星新一のショートショートだった。そしてミステリーゾーンを何度も読み返した私にとって、世にも奇妙な物語はストライクゾーンど真ん中なのだと思う。

その後私の読書傾向はどんどん分厚い本に向かっていったが、やはり上で紹介したようなアイデアが光る短い作品も時々はいいものだと思う。
疲れているからあまり集中したくないが、退屈なのはゴメンだ!というわがままな欲求を満たしてくれるのが星新一であり、ミステリーゾーンであり、世にも奇妙な物語なのだ。

ただし、中にはほとんど同じ話じゃないかと突っ込みを入れたくなる作品もありますね。ある意味で世の中に存在する物語の類型というものが、思ったほど多くない証拠かもしれないと思います。
異性との相性ポイントがわかるSNS「Locu」(ロキュ)

私はこれまでの人生で、いろいろな経験を積んできた。幾度と無く転職や引っ越しを経て、現在は自営業 で食っていけるようになった。そんなに多くないけど、 だってしてきた。そして今はとても幸せな日々を送っている。

しかしそんな私でさえ、未だによく理解できていない世界がある。それは女の脳みそだ。

私から見ると、女性が何を考えているのかという問題は常にミステリアスだ。6年一緒に住んでいる家人を見ていても、行動の原則が理解できないこともある。しかし観察の対象としては、これほど興味をそそられるものも少ない。

以前NHKの番組で、男性より女性のほうが脳梁が大きいという話が紹介されていたが、脳梁がでかいということは右脳と左脳との連携が密接だと言えるのだそうだ。
昔からよく言われることだが、男性は階段状に順を追って物事を考えるのに対し、女性は全体を一度に把握して一瞬で決断するという。私の経験からも、確かにそうした傾向が強いように思う(もちろんそうじゃない人も沢山います)。論理を司る左脳と感覚を司る右脳が密接に連絡したときに、左右の脳をわりと別々に使っている男性から見ると、理解できないような思考の飛躍が生じることがある。
つまり女性は、ぶっとい脳梁を使うことによって、論理的じゃないかもしれないけれども合理的な答えを一瞬で導き出すのだ。いわゆる女のカンってやつですな。

私にとってグータンヌーボ は、そうしたミステリアスな女性の脳みその謎を、少しだけ解いてくれる貴重な情報源だ。

この番組に登場する芸能人は、女性特有の論理的な飛躍をふんだんに披露してくれる。それにしても女の人が3人集まると大変なことになりますねw
よく「男はいくつになっても少年だ」と言われる。確かにそれはそうだと思うのだが、彼女たちを見ていると「女だっていくつになっても乙女だなあ」と感じたりもする。

また男女ともに言えることだが、その場に異性がいない空間では誰でも割と本音が言えるものだ。あなたが男性であるならば、この番組を見ることで女性が何を求めているのかを如実に理解できるだろう。

もう一つこの番組を見る上で注目して欲しいのは、江角マキコのおもしろ発言だ。この人はとぎすまされた観察眼と洞察力をもって、愛のある鋭いつっこみを繰り出すことがある。
私はどんなゲストよりも、江角マキコの発言が一番おもしろいと思う。


ところで、この番組ってゆるナビの裏で放送されてるんですよね。
ターゲットにしている層がカブってる気がする・・・個人的には、どちらかが時間ずらしたほうがWinWinの関係になれるんじゃないかと思います。