前回の「デンマークの少子化対策に学ぶ(その1) 〜日本と同じ状況にあった国が打ち出した“切り札”〜」(以下参照) よりの続きです。


 さて、デンマークでは出産休暇が大幅に拡充された1984年から、1.38だった出生率が改善し始め、およそ25年後の2010年頃には1.9まで回復しています。因みにこの「25年」と言うのは、日本で言う第一次ベビーブームと第二次ベビーブームとの年数の差と一致し、いわば生まれた子供が成人し、その後出産に至るまでの年数の一般的な目安と考えることができます。このことを覚えておいてください。


 さて、もしも当時デンマークの多くの女性の中に「出産休暇があるなら、ぜひ出産したい」という前向きな意識があったなら、出生率は、制度拡充後にすぐに格段に上がったはずですが、実際にはそうではなく、出生率は少しずつ改善し、その後に至っています。これは、それまでの女性の社会進出を背景に母子の関わりが疎かな中で育てられた、子供を含む他者との絆そのものを避ける「回避型」愛着スタイルの大人にとっては、急に拡充された出産・育児休暇は魅力を感じるものではなかったということを物語っていると考えます。

 一方で、当時でも、今の日本と同様に一定数はいたはずの「子供は好きなんだけど、今のままでは仕事が忙しくて産む余裕は無い」と思っていた安定型愛着スタイルの成人女性(我が子と触れ合う時間がたくさん持てる専業主婦の母親に育てられたか、仕事を持っていても安定型愛着スタイルだった親に育てられたか、いずれかの女性)は、制度が拡充されたことによって安心して産み始めたでしょう。その気運は、次世代の安定型愛着スタイルの若者へと伝わり浸透して、生まれる子供の数も年を重ねるごとに増えていったと考えられます。

 そして、とうとう1984年の約「25年」後が訪れます。この年は、制度拡充によって本来の望ましい姿に近くなった育児環境の中で産まれた子供達が結婚・出産適齢期を迎えた年で、幼い頃の育児環境が功を奏し、出生率が1.9(分母に未婚女性も含めての数値。既婚女性だけなら数値は更に上昇)まで回復したと推測されます


 因みに、私達人間には、長く危険に満ちた狩猟時代に定着した名残りが様々あるそうです(・泣いている赤ん坊を親が抱いて歩くと泣き止むのは、狩猟時代に我が子を抱いた親が敵から逃げて移動する際に、子供が泣く声で敵に見つからないように子供が協力していたため。・妊婦につわりがあるのは、昔、食物の保存状況が良くなかった頃に、身の回りに存在していた様々な毒や寄生虫等を摂取しないようにしていたため、等々…)。

 ではなぜ、今もその名残りが残っているのでしょう。それは「人間を危険から守ることを第一優先にしている脳が、狩猟時代が終わったことに気がついていない」(精神科医アンデシュ・ハンセン)からだそうです(人類の歴史の約96%が狩猟時代だったと言うのですから、ある意味当然のことと言えるでしょう。脳が気がつくまでには、これまでの現生人類の歴史40万年に対して、少なくともあと2、3万年は必要でしょうか?)。

 実は、子供が親から愛情を注がれ、将来その子が自分の子供をもうけ同じように愛情を注ぐという人間の“愛着システム”についても、「(愛着システムによって)社会の絆を保つことに喜びを感じると言う特性が、結果的に生き残りに有利であったから」「ホモサピエンスの高度な知能が進化したのも、大きな群れを維持するための(愛着システムと言う)社会的知性の進化に負うところが大きい」(岡田先著より引用)と言われています。つまり、やはり狩猟時代の数多くの敵に負けず生き残るために稼働してきた愛着システムが今も続いているということなのでしょう。ですから「最近は愛情が少なくなったから、これからは現金給付や保育サービスを保証してくれれば愛着システムを働かせよう」とはならないのです。何せ、脳はまだ狩猟時代が続いていると思っているのですから。私達は今現在も、昔からの愛着システムの下で、過去の祖先と変わらず、母親からの安定した愛情を求め続けているのです。

 だからこそデンマークでも、以前の女性の社会進出によって“一瞬”つまずいた愛着システムが、生まれた時から祖先に近い育児環境で育つことができる子供達が再び現れたことによって、またその歩を進め始めて、彼らが結婚・出産適齢期を迎えた25年後に再び理想に近い出生数に戻ることができたのだと思います。


 片や、親が手厚い子育て支援を受けられることで有名なフィンランドでは、実はデンマークとは逆に、2010年以来、出生率が3分の1近くも低下しています。


そこで、やはり約25年前(1985年頃)にさかのぼってみると、フィンランドのGDPはその頃をきっかけに急激に上がり始めています。


実は「経済的に豊かになるほど出生率が下がる」ということは、既に統計学的に明らかにされていることでもあります。それは、日本での高度経済成長期以後の子育てと出生の歴史を振り返る限り、仕事を優先するために子供への愛情が不十分になり、その弊害が、その子供らの結婚・出産適齢期に現れるものと考えられます。きっと同じようなことがフィンランドでも起きたのではないでしょうか。


 やはり、私達人類は狩猟時代から続く愛着システム下にいるため、ある世代の出産が、その「25年」前の育児環境(親の愛情)によってのみ決まるというサイクルには逆らえないようです。少子化対策議論の中で、もっぱら経済支援を主張する人の中には「出生率を改善させるために25年もかかるのか…」と思う人がいるかもしれませんが、それは自分が生きている今の瞬間しか頭にない表れと言えるでしょう。逆に、50年もかけて進行させてきた少子化をその半分で改善できるのなら御の字と考えるべきです。


 極めつけは、東京大学大学院の赤川学さんの、自著これが答えだ! 少子化問題」(ちくま新書)での指摘です。それは、既に子供を1人産んだ女性(結婚はしたものの子供は希望しない「回避型」愛着スタイルではない、安定型愛着スタイルである既婚女性)が、次の子供を産むことに対して影響を与えた要因は、第一子出生からの経過年数のみであり、夫の家事分担、父母や義父母との同居、妻の年収や官公庁勤務等の要因は無関係であったと言うものです。この指摘も、人間本来の安定型愛着スタイルにある女性は、外部からの子育て支援など関係なく、純粋に愛着システム下の意識に従って出産していることを統計学的に証明しているものと考えます。

 そもそも現実に、高度経済成長期より前の時代には戦前・戦中のように経済的に貧しく、もちろん子ども手当てなど無くても、今よりも遥かに高い出生率を誇っていた…


わけですが、それも、仕事を優先し子育てが疎かになった同成長期より前であれば、純粋に愛着システムに従う安定型愛着スタイルの女性が多く存在していたためであると説明ができます。


 また、専門家達が口を揃えて、少子化の主要因と指摘する未婚化問題についても、先の愛着システムの歴史を理解すれば、「人が健全に異性と絆を繋ごうと思うのも、表面的な婚活対策ではダメで、やはり私達の遺伝子が欲する乳幼児期の愛情から見直す必要があるんだな」と納得がいくでしょう。

 ただし「子育て支援(現金給付や各種保育サービス等)は、未婚化に対してはその効果が無い」と言うのは間違いで、正しくは「子育て支援は、未婚化に対しては直ぐにはその効果が現れない」だと思います。今の“結婚回避者”である「回避型」愛着スタイルの人に子育て支援が効果が無いのはその通りですが、出産・育児休暇を拡充し乳幼児期の育児環境を改善すれば、その25年後には次世代の“結婚希望者”を育てることができるのですから。


《終わりに…》

 子育て支援には釣られない「回避型」愛着スタイルですが、その愛着スタイルを唯一修復できるものがあります。それが「安心感」です。精神科医の岡田尊司さんが提唱する、愛着修復方法としての「愛着アプローチ」は、正にその考えに支えられています。

 その考えに基づいて、今私が模索しているのが、次の子育て世代を担うにも関わらず、恋愛そのものに対して敬遠する傾向が強いとされる高校生(世代間連鎖によって若い世代ほど強いその傾向が強く、人との絆での失敗を恐れる「回避型」の特徴のためと思われる)に対して、自治体の妊婦検診で提示する育児啓蒙プレゼンテーション(下記参照)


の“簡易版”(特に、異性や子供との具体的な絆の築き方や、女子高校生でさえ不安に思っているとされる母親に偏るワンオペ育児ではなく、夫婦が互いの良さを発揮しながら協力し合い子育てをする方法等を周知)を視聴してもらうことです。それが上手くいけば、あの「25年」が、高校生が結婚・出産適齢期に至るまでにかかる「10年」に短縮出来るかも知れません(場合によっては、婚活パーティーに集まった男女に対しても同様のアプローチが有効かも…?)。それについては、また別の機会にお話ししたいと思います。