寛永寺へ参拝と御朱印 その1 | つるちゃんの花園♪

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今日は予想通りで雨が降っていました。
朝、雨戸を開けたら目の前をカルガモが飛んで行って、うちの周りを旋回していました。
たぶん子育てする物件探しをしているのかも・・・
それにしてもあまりにも近くてかなり驚きました!

今回から、上野御朱印巡りを掲載しますキラキラキラキラ
山手線で鶯谷で降りて、東叡山寛永寺へ向かいました。
初めて降りる駅だったので、駅員さんがいれば地図をもらいたかったのに
無人の改札口を出てしまって、初っ端から迷子に・・・
こういうときって、グーグルマップのナビが役立ちますグッ

寛永寺 山門
徳川将軍家の菩提寺のわりに意外と小さな入口でビックリびっくり

 

 

天台宗別格大本山 東叡山寛永寺 根本中堂
耐震工事中で、本堂が全く見えないという悲しき現実がガーン
元禄11年(1698)、現上野公園内大噴水の地に建立された根本中堂は
慶応4年(1868)彰義隊の戦争の際に焼失してしまいました。
現在の根本中堂は、明治十二年に川越喜多院の本地堂を山内子院の
大慈院(現寛永寺)の地に移築し再建されたものです。

 

 

 

寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため
江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)
大僧正によって建立されました。
後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。
また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において
我が国随一の大寺院となったのです。
しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
(寛永寺HPより抜粋)

山号は「東の比叡山」の意、寺号は寛永年間に創建されたことによります。
比叡山延暦寺を見立てています。

 

御本尊は、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)です。
国指定重要文化財です。

 

御本尊の御朱印
直書きしてしてくれましたルンルン
女性が対応して下さって「今日は風が強いですね」とか言いながら
サラサラっと筆で書かれる姿はとても素敵でしたラブラブラブラブ

 

 

観光バスがやってきて、ぞろぞろと観光客が降りてきたので
御朱印をいただいたら、人が増える前に撮影しなくちゃ!!で大わらわでした(;^ω^)

銅鐘と八重桜「関山」
すぐ近くに、銅鐘がありました。銅鐘は台東区有形文化財です。

 

 

 

大楠「上野の祖木」(樹齢600年以上)

歴史を感じる大きな楠にパワーをもらいましたラブラブ

 

 

六地蔵

 

 

お地蔵様と石像

 

 

旧本坊表門の鬼瓦阿形と根本中堂の鬼瓦
上野駅近くにある輪王寺に移築された、寛永寺旧本坊表門(国指定重要文化財)に
据えられていたものだそうです。
根本中堂の鬼瓦は、現東京国立博物館から移築されたときにあったものだそうです。

 

 

 

尾形乾山墓碑・乾山深省蹟

 

 

慈海僧正墓

撮影していたら、逆光だったため何だか後光のような光が入っちゃいました。

寛永寺と徳川将軍家の菩提寺を守るぞ!という気合が光に出たのかしら笑

 

 

本堂
 

 

寛永寺葵の間の入口
奥に見える白い壁の建物が、幕末に十五代将軍徳川慶喜公が謹慎蟄居なされた
「葵の間」だそうです。登録有形文化財です。

 

 

本堂の屋根の造りが素晴らしかったです。

 

 

なるべく工事してるところを入れないように横から見ました。

 

 

本堂の横には、牡丹やツツジがとても綺麗に咲いていましたラブラブ

 

 

 

 

まだまだ続きます。
次回も寛永寺の境内にある、重要文化財や切り絵の御朱印などを掲載します。

 

 

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