川越大師 喜多院へ参拝と御朱印 その1 | つるちゃんの花園♪

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今日も朝起きたら雨が降ってて、外が暗かったです。
今は晴れてきて、青空が見えてきました。
お日様のあたる窓辺が気持ちがよいなぁ~

今回は、川越大師 喜多院へ参拝と御朱印の写真ですキラキラキラキラ

川越八幡宮からハイヤーで移動してきました。
呼ぶと手数料がかかるので、別の出費が出てしまいました。
でも歩くのは無理だったので致し方無いですがもやもや

川越大師 喜多院 山門
国指定重要文化財です。
棟札を見ると寛永9年(1632)に天海僧正により建立されたことが分かり
寛永15年(1639)の川越大火で焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物です。
昭和30年度に部分修理が行われ、現在に至ります。(喜多院HPより抜粋)

 

 

多宝塔
埼玉県指定有形文化財です。総高13m
歴史は古いのですが、老朽化が進んで明治時代に移築され改造してしまったため
昭和になって、解体修理をして昔の形に復元したそうです。

 

 

川越大師 喜多院 慈恵堂(本堂)
県指定有形文化財です。
慈覚大師が天長7年(830年)に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院
というそうです。
とにかく規模の大きさに圧倒されますびっくり
内部の撮影はNGでしたが、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りしてあって
国指定重要文化財の正安2年(1300)に造られた銅鐘があって、煌びやかで素晴らしかったですドキドキ

 

 

大黒尊天(川越七福神)

 

 

手水舎の珍しい形の龍神様
剣に2体が絡み合うようにデザインされています。

 

 

太子堂(右側)・木遣(きやり)塚
聖徳太子をお祀りしていて、この太子堂を作るときに大勢の力を合わせて大木を運ぶ際に
歌われたのが木遣だそうです。

 

 

慈眼堂
国指定重要文化財です。
慈眼大師天海をまつる御堂です。
天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。
正保2年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ
厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。(HPより抜粋)

 

この階段を上がったら、他が巡れなくなりそうな気がして見上げるように撮影だけしました。

 

 

苦抜き地蔵
逆光で、お地蔵さまに後光が差してるような写真になっちゃいました爆  笑

 

 

別の場所から見た多宝塔
この角度が一番素敵に見えましたハート

 

 

喜多院の裏手に行ってみます。
川越城主 松平大和守家廟所(びょうしょ) がありました。
明和4年(1767)から慶応2年(1866)まで川越藩主であった松平大和守家歴代藩主の
墓がある廟所として知られています。
松平大和守家は、徳川家康公の次男・結城秀康の子・直基

藩祖とします。(HPより抜粋)

 

 

とても大きなシラカシがありました。

 

 

本堂と庫裏・書院をつなぐ廊下

 

 

庫裏から拝観します。
客殿と書院に渡り廊下でつながれている庫裏は、現在拝観の方々の入口となっています。
客殿、書院と同様、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。
客殿 (徳川家光公誕生の間)書院 (春日局化粧の間)

家光公が遊んだ馬の玩具とか鎧兜など、喜多院の歴史的なものが多く展示されています。
客殿と書院は、国指定重要文化財になっています。
何しろ、江戸城の一部がそのまま移築されてるわけですからね!!
撮影NGのため、庭園のみを撮影しています。

全てが紅葉だったので、真っ赤に色づく季節は美しいでしょうねもみじ
やや色づている葉っぱもありましたラブラブ

 

 

枯山水庭園

やっぱり日本庭園って素敵ラブ

縁側に座って、しばらくこのお庭を眺めていました。落ち着くわぁ~

 

 

赤い太鼓橋がありましたが、近寄ることは出来ません。

 

 

庭園から見た、春日局化粧の間の外観を撮影カメラ

 

 

まだまだ続きます。
次回も、喜多院の続きと御朱印を掲載します。

 

 

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