今朝のニュースで、バイデンが持ち出したイスラエルの停戦案が、イスラエルのネタニヤフ首相さえ、賛成していないものだということが分かってしまった。

たまたまとか手違いで無関係の人間が巻き添えになっているのではない。
計画的なパレスチナ人の抹殺なのだ。

 

 

バイデンが、実行可能性のないハマスに有利な停戦案を持ち出したのは、単にそれでイスラエルの時間稼ぎに貢献しているだけではなく、国内の学生たちなどの抗議活動を少しでも和らげようという選挙対策が見え見えの話で、本気でイスラエルを止めようとなどしてはいない。

 

それは、あたかもアメリカが先住民のインディアンから、その土地を狡猾かつ残虐な方法で取り上げてきた歴史と、全く軌を一にしている。

そのことを取り上げているブログを以下に紹介しておく。

 

 

そして、それらの歴史的行為や今イスラエルがやっているパレスチナ人虐殺について、なぜそういう残虐な行為をしていることに、何の反省も人間としての恥ずかしさも感じないで出来るのかということについては、これまで既にブログでも書いた。

 

旧約聖書には「約束の地」を得るために、ユダヤ人は先住民族を虐殺し追い出しそして支配してきたことが、具体的かつ詳細に書かれている。

 

それを今、彼らの宗教でどう教えているか知らないが、決して否定するのではなく、「必要悪」として是認していることは間違いないだろう。

 

 

それは、第二次大戦で日本の中国「重慶」への無差別爆撃を非難したアメリカが、東京大空襲をはじめ日本の各地の都市を無差別爆撃した事実や、もはや既にまともな戦闘能力のある部隊さえ存在していない状況であったにもかかわらず、「早期に戦争を終結させるためにやむを得ず」と言う言い訳で、2度も原爆を広島・長崎に投下したことを正当化していることでも、同じことだ。

 

「必要悪」であったという言い訳はどうでも付けられるが、問題はそれに何の痛みも感じてはいないということ。

それを可能にしているのは、宗教的・精神的なバックボーンがあるからだ。

 

どんな宗教にしろ、歴史的なものは、客観的に見れば歴史的な制約から逃れられないのは、当たり前の話なんだが、こと宗教に至ってはそれがほとんど真実・真理だと信じられてしまう。

 

マルクスが「宗教はアヘンだ」と喝破したのは、物事の真理を衝いたのであって、短絡的にだから宗教を弾圧・禁止しろとかは言ってない。

マルクスはそんな短絡的な馬鹿じゃないです。

勿論、マルクスの理論も歴史的な制約はあるでしょう。

(あの粛清ばかりの冷血スターリンだからこそソ連時代は弾圧をされたが、ソ連崩壊後はプーチンも政権支持のロシア正教会は大事にしている。)

 

私は、宗教は日本のようなある意味無宗教で自然崇拝指向の強いどこでも神様がいるみたいな、いわゆる「アミニズム」がいいと思っている。

 

*アミニズムとは何ですか?

解説 人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在するという考え。 自然界にも精神的価値を認めこれを崇拝する宗教の原型のひとつで、世界各地でみられた。 今日でも、各地域の先住民の間で現存し、また、さまざまな宗教や民俗、風習にもその名残がある。

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実際困ったときの神頼みで、神様仏様ご先祖様、お地蔵様恵比寿様・・とお願いしているのが日常だ。ウインク

 

 

ちょっと脱線したが、

別にユダヤ教やキリスト教を誹謗・中傷しているのではない。

客観的に見れば、こうした残虐行為が平然とできる下地として、宗教的背景やそれに裏打ちされた民族差別意識が歴然としてあるのではないかと言っているだけだ。

 

それが、正しいかどうかは国際世論と歴史が証明するだろう。