逐次投入の批判に対して、言い訳的な記事が出ていた。
それを読みながら、やはり私の疑問点はスッキリしない。
もちろん自衛隊が一生懸命頑張ってくれていることは、よく分かったのだが、特に初動における災害対策本部の指示が一体どうだったかのがよく分からないのだ。
上記ニュースでの、記事のポイントは以下の通り
木原稔防衛相は9日の記者会見で、自衛隊派遣について「その時点で必要となる最も効果的な活動を見極めつつ人員を振り向けることとしている」と強調。寸断された道路を復旧しながら活動地域を広げ、部隊を投入していると説明した。
防衛省は地震発生から一夜明けた2日朝、陸上自衛隊中部方面総監を指揮官とし、陸海空3自衛隊部隊の指揮系統を一本化した1万人態勢の統合任務部隊を編成。
熊本や北海道に比べ、北陸は陸自の配備が手薄だ。石川、富山、福井3県には金沢駐屯地など3拠点しかなく、初動で投入できる人員は限られていた。能登半島への陸路のアクセスも南からの一方向しかなく、道路網が寸断され、海と山に挟まれた地形は大規模に展開しにくい事情もあった。防衛省幹部は能登半島について「どこでも震災対応できるよう日ごろから準備しているが、その中でもとりわけ厳しい」と語った。
一方で自衛隊の役割は増している。
当初は被害状況の偵察や救援、警察や消防のレスキュー隊員の航空輸送に従事していたが、岸田文雄首相は3日、自治体が対応できていない避難所ごとにきめ細かくニーズを把握するよう自衛隊に指示した。
防衛省は「御用聞き作戦」と称して400人規模で避難所や孤立集落を回る態勢を構築。自衛隊幹部は「自治体業務を体系的に担うのは初めてだ」と指摘した。
コンビニエンスストアやスーパーマーケットとも連携し、車両やヘリ、徒歩で物資運搬も行っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上
上記の大臣説明を見て、疑問に思ったのは、
防衛大臣は、
寸断された道路を復旧しながら活動地域を広げ、部隊を投入していると説明した。
と言っているが、林官房長官は、5日の記者会見で、何故そのことには触れなかったのかな?
私は、8日にも以下のブログを書いていた。
自衛隊が道路の復旧にとりかかったのは何時からなんだろう?
何故そういうPRをしないのか?
それとも私がニュースを見ていなかっただけなのか?
次に、
2日朝、陸上自衛隊中部方面総監を指揮官とし、陸海空3自衛隊部隊の指揮系統を一本化した1万人態勢の統合任務部隊を編成。
と言っているが、編成されたのは事実だろうが、それに見合った動きはどうしたんだろう?
8日に初動についてブログを書いた。
このブログでも、その前のブログでも、航空自衛隊小松基地のHPを紹介しているが、そこでは、このような動きについての説明など無いし、Xのコーナーで災害対策での動きが少し紹介されて、一定の活動は読み取れるのだが、指揮系統を一本化したというような組織的な対応がよく見えないんだけどね。
現在のX(旧ツイッター)を見ても、組織的に統合任務部隊として本格的に動き出したのは7日以降のような感じがする。
それまでは、災害地にある基地として要請に応じて可能な限りに自前の救助隊の派遣とかそのほかの救助隊や被災民の移送に従事していたような雰囲気だね。
まあ、当初はそれぞれで出来る限りの災害支援はやっていたのだろうし、それはそれで分からないわけではない。
上記のニュース記事では、最後に以下のように説明している。
防衛省は「御用聞き作戦」と称して400人規模で避難所や孤立集落を回る態勢を構築。自衛隊幹部は「自治体業務を体系的に担うのは初めてだ」と指摘した。
コンビニエンスストアやスーパーマーケットとも連携し、車両やヘリ、徒歩で物資運搬も行っている。
つまりは、孤立地区への調査や支援は自治体業務であったわけだ。
自衛隊が率先して、孤立地区へヘリを飛ばすとかは予定されていなかったんですね?
だから初動では動かなかったという訳なんだろうね。
それで良かったんだろうか?
災害対策本部の初動での状況判断が鈍かったということだよね。
道路が各地で寸断されていることは航空写真で早期に分かっていただろう。
そういう場合に、機動力や機材・マンパワーを持つ自衛隊がどう初動で人命救助のために動くのかというマニュアルが不十分だったということなのかな?
マニュアルが不十分なら、その場で災害対策本部等がどうするのか速やかに判断して指示すべきだが、そこがやっぱり問題だったんだろうか?
1週間も経てば、後付けでどうすべきだったということは言えるからね。
まだまだ、これからはじめて検討するような事案もいっぱいあるようだし、自衛隊には今後ももっともっと頑張ってもらわないといけない。
今回の能登半島地震の教訓は、後でしっかり研究して、様々な場合でのマニュアル化をしっかりやっておいて欲しいなあ・・・。