この歌好き。
ホントに子どもの頃はサイレンだったよ。
夕方に鳴り響くサイレンが「今日はもう帰りなさい」の合図。
今は、市区町村によって違う童謡だねぇ。
ウーウーなんて鳴り響いたら防災無線だよね、今じゃ。
昭和の子どもはたくましい…
で、記憶に残っていることがひとつ。
小学生の頃、亀有に住んでいた頃の記憶だから10歳前後。
サイレンが鳴った後もまだ明るく、うちに帰りたくなかった。
友だちの家で遊んでいて、そこはうちの社宅から徒歩3分くらいだった。
遊び足りずサイレンが鳴っても暗くなるまで遊んでいて、うちに帰ったら叱られた。
当然ですね…
あはは
気づかないうちになくなってゆくもの。
忘れてしまうものやこと。
記憶にとどめられるならとどめたい。
そしてそれは、スマホの中じゃなく、写真やモノとして残したい。
子どもの頃に住んでいた団地。
5階建て、エレベーターなし。
でも、小学生当時、この団地は文化の象徴のようだった。
それまで住んでいた社宅は、
玄関共同、内廊下で各戸へ。
トイレ共同、しかも汲み取り、男女一緒。
大きな流し場があった。
風呂はなし。
各戸は振り分けじゃなく通しの6畳間二つと台所。
それがこの団地ってば!
6帖と4.5帖の和室に6帖のダイニングキッチン!!
洗面台に内風呂(バランス釜・シャワーなし)洋式トイレ!
なんてハイカラな!
そんな団地ですが…
住みにくくなってきていましたね、確かに。
エレベーターのない5階建ては高齢者にはしんどい。
周りの団地がどんどん壊され、高層の新しいURのマンションに建て替わってゆく。
それは仕方ないことだと思う。
この団地の致命的な欠陥は、外廊下がなく一つの階段で2戸×5階を賄わねばならないしくみ。
せめてここ、長い外廊下が付いてるタイプだったら、エレベーター後付け、外付けできたかもしれない。
そうしたら鉄筋コンクリートなんだもの、2~3戸ぶち抜いて間取り変更できたかも…ね。
住みにくい住居だとはわかっていた。
でも、住人がいる間は壊さないから。
だから団地を通りかかるたびに、洗濯物が干してないかを確認していた。
洗濯物が全然なくなったら…それはもう人が住んでいないこと。
じき取り壊される。
とうとう、最後に残っていた一角も取り壊しが始まっていた。
ここにもきれいなマンションが建つんだろう。
せめて記憶と記録に残したい。