公団団地 | 死ぬために生きてゆく

死ぬために生きてゆく

この世に生を受けて61年。人生を振り返ったり今の喜怒哀楽、思いつくまま、気の向くまま、(いつか)死ぬまでの日々を綴ってみたいと思います。

この歌好き。

ホントに子どもの頃はサイレンだったよ。

夕方に鳴り響くサイレンが「今日はもう帰りなさい」の合図。

今は、市区町村によって違う童謡だねぇ。

ウーウーなんて鳴り響いたら防災無線だよね、今じゃ。

昭和の子どもはたくましい…

 

で、記憶に残っていることがひとつ。

小学生の頃、亀有に住んでいた頃の記憶だから10歳前後。

サイレンが鳴った後もまだ明るく、うちに帰りたくなかった。

友だちの家で遊んでいて、そこはうちの社宅から徒歩3分くらいだった。

遊び足りずサイレンが鳴っても暗くなるまで遊んでいて、うちに帰ったら叱られた。

当然ですね…

あはは

 

気づかないうちになくなってゆくもの。

忘れてしまうものやこと。

記憶にとどめられるならとどめたい。

そしてそれは、スマホの中じゃなく、写真やモノとして残したい。

 

 

 

子どもの頃に住んでいた団地。

5階建て、エレベーターなし。

でも、小学生当時、この団地は文化の象徴のようだった。

 

それまで住んでいた社宅は、

玄関共同、内廊下で各戸へ。

トイレ共同、しかも汲み取り、男女一緒。

大きな流し場があった。

風呂はなし。

各戸は振り分けじゃなく通しの6畳間二つと台所。

 

それがこの団地ってば!

6帖と4.5帖の和室に6帖のダイニングキッチン!!

洗面台に内風呂(バランス釜・シャワーなし)洋式トイレ!

なんてハイカラな!

 

そんな団地ですが…

住みにくくなってきていましたね、確かに。

エレベーターのない5階建ては高齢者にはしんどい。

周りの団地がどんどん壊され、高層の新しいURのマンションに建て替わってゆく。

それは仕方ないことだと思う。

 

この団地の致命的な欠陥は、外廊下がなく一つの階段で2戸×5階を賄わねばならないしくみ。

せめてここ、長い外廊下が付いてるタイプだったら、エレベーター後付け、外付けできたかもしれない。

そうしたら鉄筋コンクリートなんだもの、2~3戸ぶち抜いて間取り変更できたかも…ね。

 

住みにくい住居だとはわかっていた。

でも、住人がいる間は壊さないから。

だから団地を通りかかるたびに、洗濯物が干してないかを確認していた。

洗濯物が全然なくなったら…それはもう人が住んでいないこと。

じき取り壊される。

 

とうとう、最後に残っていた一角も取り壊しが始まっていた。

ここにもきれいなマンションが建つんだろう。

 

 

せめて記憶と記録に残したい。

 

 

 

 

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