皆様、ご機嫌YOです!

 

江戸時代の武士道では主君への忠義が重んじられましたが、戦乱の時代では裏切りは割と日常茶飯事でした。

 

とは言え、裏切りにもある程度の作法みたいなものがあったのも事実。通常は自分から申し出るか敵方から内応の打診があるかの差はありますが、一応事前にしっかりとした内応の約束が為されてから、と言うのがマナーだったようです。

したがって味方が不利なのを見て根回しすらせずにその場で裏切るようなパターンでは、多くの場合裏切り先から冷遇されるか、最悪殺される事が多かったようです。いい例は武田滅亡時の小山田信茂や、関が原にて小早川秀秋のついでに裏切った朽木、赤座、小川らが挙げられます(脇坂は事前に内通の根回ししてたのでセーフ)。

戊辰戦争における奥羽列藩の三春、秋田ら裏切り者共もほとんどその場の裏切りに近いので、同列に扱っていいかと。

 

前置きが長くなりましたが、今回紹介するのは裏切りの中で最低かつ最悪の例で、そいつ自身も最終的には惨めに朽ち果てる結果となりました。

と言う事で、まずは動画をご覧ください。

まあ、なんつーか最低最悪の屑とはまさに宗繁の事を言うのでしょうなあ。漫画版では時行に討たれますが、はっきり言ってそれでも史実よりはるかにマシな死に様です。

 

そして何とも面白い事に、逃げ上手の若君がアニメ化された結果、コイツの悪名と非道が世界中に広がるという事態になってしまったのは草としか言いようがありません。

世界のアニメファンも宗繁の鬼畜ぶりには怒り心頭で、コイツが時行に討たれた時は大喝采だったそうな。

皆様、ご機嫌YOです!

 

薩長史観により暗黒時代と貶められてきた江戸時代。

そして、当ブログでは何回か江戸時代の文化と教養は諸外国にも劣るものでは無い、と言う事をお伝えしてきました。

それは今回紹介する数学もまたその一つです。

 

いわゆる「和算」。西洋の数学とはまた違ったこの数学体系はまさに世界最先端のレベルであり、藩主や武士などの支配階級は勿論、百姓や町人ら庶民にも活用されてきたのです。

 

今回はその当時でも世界最先端レベルであった「和算」について一緒に見ていきましょう。

皆様、ご機嫌YOです!

 

多分みんな大好きであろう和菓子。

和菓子が本格的に今の形に近づいたのは江戸時代でした。

そしてこれまで公家や天皇のような上流階級しか味わえなかった甘味を庶民が味わえるようになったのも、やはり江戸時代からでした。

 

今回は江戸時代の和菓子事情、和菓子がどのように今に繋がる形で出来上がり、広がっていったかを見ていきましょう。

動画にもあるように砂糖の国産化が始めたのが、皆様ご存じ徳川吉宗である事は僕も今回初めて知りました。