皆様、ご機嫌YOです!

 

旧帝国…日本の敗北が決定的な状況となった太平洋戦争。

この期に及んで本土決戦とかほざいている頭が沸いた奴もいる中、昭和天皇を含めて状況を理解している者達は、取り返しがつかなくなる前にこの戦争は終わらせなければ、との決意の下で動き出していました。

 

終戦当時の首相、鈴木貫太郎もその一人でした。

彼は2.26事件にて憂国気取りのテロリストの襲撃に遭い、瀕死の重傷を負うも妻の懇願によって命を拾った過去があります。そして2.26事件で危うい命を拾ったからこそ、戦争終結と言う大仕事を完遂したのです。

それでは、彼がどのようにこの戦争を終わらせるべく戦い抜いたか、動画にてご覧頂きたいと思います。

さて、いかがだったでしょうか。

終戦間際、阿南惟幾に「自分は易しい方をやる、済まぬが君には難しい方を頼む」と後時を託された彼は、その仕事を成し遂げて程なく病に倒れました。

死の淵で彼は「永遠の平和、永遠の平和」と二度、はっきりした言葉で繰り返したそうです。

 

もし歴史の神がいるならば、彼は日本を救うこの大仕事を成し遂げる為に生かされたのではないか、僕はそう信じます。

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江戸開城後、自分のテロ行為を取り締まった逆恨みも含めて奥州に牙を剝いた西軍。そんな不義の徒に対して北越方面で頑強に抵抗したのが長岡藩家老、河井継之助です。

 

陽明学を学んだ彼は長岡藩の家老に抜擢され、様々な藩政改革と近代化政策を打ち立てます。ちなみに近代化の過程で、この時代でいち早くもガトリング銃まで購入しています。

 

そして河井ら長岡藩に対してもそのどす黒い牙を向く西軍。

当初は何とか戦争回避と奥州への仲介と説得の窓口となるように尽力する河井でしたが、権力を得ておごり高ぶった土佐の若輩、岩村精一郎が全てをぶち壊します。事ここに及び、不義の軍に尻尾を振るより義の魂を貫く事を選んだ河井は西軍に徹底抗戦し、健闘するも戦没しました。

 

今回は北越に義を示した壮士、河井継之助の生涯を一緒にご覧頂きたいと思います。

結果として長岡を戦渦に巻き込むことになった彼の評価は薩長政権下では賛否分かれる(どちらかと言うと否寄り)ものでした。しかし、戦後薩長史観の軛から脱して西軍の不義と悪辣さが明らかになった事、彼を主人公とした司馬遼太郎の小説「峠」の影響で彼の生き様は正当に評価されるようになってきています。

 

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江戸時代の武士道では主君への忠義が重んじられましたが、戦乱の時代では裏切りは割と日常茶飯事でした。

 

とは言え、裏切りにもある程度の作法みたいなものがあったのも事実。通常は自分から申し出るか敵方から内応の打診があるかの差はありますが、一応事前にしっかりとした内応の約束が為されてから、と言うのがマナーだったようです。

したがって味方が不利なのを見て根回しすらせずにその場で裏切るようなパターンでは、多くの場合裏切り先から冷遇されるか、最悪殺される事が多かったようです。いい例は武田滅亡時の小山田信茂や、関が原にて小早川秀秋のついでに裏切った朽木、赤座、小川らが挙げられます(脇坂は事前に内通の根回ししてたのでセーフ)。

戊辰戦争における奥羽列藩の三春、秋田ら裏切り者共もほとんどその場の裏切りに近いので、同列に扱っていいかと。

 

前置きが長くなりましたが、今回紹介するのは裏切りの中で最低かつ最悪の例で、そいつ自身も最終的には惨めに朽ち果てる結果となりました。

と言う事で、まずは動画をご覧ください。

まあ、なんつーか最低最悪の屑とはまさに宗繁の事を言うのでしょうなあ。漫画版では時行に討たれますが、はっきり言ってそれでも史実よりはるかにマシな死に様です。

 

そして何とも面白い事に、逃げ上手の若君がアニメ化された結果、コイツの悪名と非道が世界中に広がるという事態になってしまったのは草としか言いようがありません。

世界のアニメファンも宗繁の鬼畜ぶりには怒り心頭で、コイツが時行に討たれた時は大喝采だったそうな。