そのときのまんま。武蔵のみた風景とは? | 着陸したのは 肥後の国

着陸したのは 肥後の国

ようこそ!いらっしゃいました。
静岡県出身で 広島県に数十年。
シングルとなってからは、娘夫婦と一緒に 熊本県内で生活してます。
自分も何時まで役に立つのか分からないですが、少しでも助けになればと生活してます。
どうぞ よろしく!

 
「宮本武蔵」と言えば 誰もが知っていると思います。
剣の達人で小次郎との巌流島の戦い
 
熊本には宮本武蔵が晩年の5年間。
何をするためにここに来たのだろう?
 
「雲厳禅寺」は金峰山(きんぽうざん)の西麓にあり、
南北朝時代(1336年)に日本に渡来した
 元の禅僧 東陵永璵(とうりょうえいよ)が建立したと伝えられる
曹洞宗の寺です。
本堂前に石灯篭から湧水が流れ落ちている。
日本百名水のひとつ。
「金峰山からの湧水」
お口をそそいで、まずはこのお水を頂く。
 
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古寺のご本尊に合掌
 
入口をくぐっていくと・・・
灯篭と 苔の生え方や色がとても魅力的な道を奥に 
なんだかワクワクするなぁ。
辺りは静寂な空気に包まれてて、時折野鳥の鳴き声がするくらい。
 

 

道も整備されていないので、結構危なっかしい。

苔が生えまくって階段という階段も ほぼ手作り感満載の自然石のまんま。

足元に注意しながら、ゆっくりと歩いていく。

 

すると・・・・・ びっくり

 

ヘビかと思ったよ~~ポーン

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遊んでみる・・・てへぺろ

 

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行く道中も

高低差があるんで お年寄りはかなり足元を気を付けて歩かれた方がよさそう。

すると 眼下に広がったこの多数の「五百羅漢」と呼ばれている石仏の大群がお出ましに。

 

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金峰山は火山なので幾多の地震の影響で
頭部が落ちたものも多く見受けられて、
ちょっとこわ~~い滝汗
お顔はみんな違い、見ていると誰かに似ている様に作られている。
 
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注意注(五百羅漢は武蔵の時代よりも150年後に

奉納されてます)

どんどん下に降りていくと・・・

 

 

洞窟らしき姿が見えてきます。

ここが 「霊厳洞(れいげんどう)」

 

 

武蔵が籠って

「五輪の書」を書いていた天然の岩窟がびっくり

 

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階段も地震の跡なのか隙間だらけでほんと怖かった~アセアセ

格子戸の奥深くには「馬頭観世音菩薩さま」がお祀りされてます。

ここに来られた方だけパンフレットにそのお姿が披露されてますから、

是非訪れてパンフレットを入手してください。

 

 

この大きな石の由来も あえて明かさない様にしておきましょう。

 

天井には元の禅僧 東陵永璵が彫ったと言われている

右から「霊厳洞」という文字がくっきりと見てとれます。

肉眼では目を凝らして観ないと判らないかも!?

 

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宮本武蔵がここ霊厳洞に参籠し「五輪書」を書き始めたのは

1643年・60歳の秋。

その後1645年5月12日門人、

寺尾孫丞勝信(てらおまごのじょうかつのぶ)に授けたのです。

 

(写りこんでいる姿は娘ですww)

 

この木剣が佐々木小次郎との対決で使われたものです。

 

 

こんな木剣で 小次郎に勝っただなんてびっくり

 

 

さ~~~お姿を拝顔しましょう照れ

 

 

ジャーーーーーーーーン!!

 

 

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ハゲてる・・・・ニヤリ

眼光は鋭そうキラキラ

 

宮本武蔵

岡山県英田郡(あいだぐん)大原町宮本に於いて

次男として生まれました。

武蔵は六十余度の勝負に一度も負けたことがありませんでした。

天下を周遊して50歳にして兵法を究め

57歳で肥後藩主、細川忠利公の知遇を得、客分として熊本に招かれたんだそうです。

 

武蔵は生まれ故郷の大原町に風景画よく似た金峰山麓、霊厳洞に籠ったそうです。

 

私はたまたま岡山の英田郡大原町の友人が居て

そこにも行ったことがあります。

確かに、似てる。

ぜひその友人をここに連れてこようと思いました。

 

観光化されていない当時のまんまが見れるというのが、

とても心惹かれましたピンク音符

 

 

 

次の目的地に・・・・

車=3=3=3