こんばんは、アイです。
9月になりましたね。
今年も残り、あと1/3となりました。
苦労した分だけ、などと欲張るつもりはありません。
努力に見合う収穫が得られますように。
学校では、『学校保健委員会』が定期的に開かれます。
学校保健委員会とは、学校単位で設置され、主に生徒の健康問題等を
協議する会のことです。メンバーは校長先生を筆頭に、教員やPTA、
校医の方々で構成されています。
学校薬剤師をしているアイも、その一員として参加を要請されています。
学校関連のイベントって、必ず平日の昼間なんですよね。
これも仕事と思って参加してますけど、内容は形式的で退屈だし、
平日に呼び出されて憂鬱そうな顔をしているPTA(つまり親たち)の前で
薬剤師としてコメントしなければならなかったりと、正直ちょっと面倒だったりします。
校医の方々(内科・耳鼻科・眼科・歯科)とお会いするのも
この時ぐらいなものですが、協議といっても議論を交わすわけでもなく、
教員が作成した資料について、順番にコメントするといった程度です。
アイが契約している学校では、毎年夏休み期間に学校保健委員会が開かれます。
教員もPTAも比較的時間をとりやすいからなのでしょう。
「夏休みでお子さんが家にいると、お昼の用意とか保護者の皆様は
何かと大変と思いますが、私ども教員としてはホッと一息つける時期でして。」
校長先生が話を始めました。
なんだかんだやることはあるのでしょうけど、教員は定期的に休みがあって、
羨ましく感じます。
薬局薬剤師なんて、24時間365日対応せよなんて、厚労省から
平気でムチャな要求されてますから。日本医師会にはそんなこと言えないくせに。
「・・・そう言えば昔、『健康学園』という制度がありましてね。
喘息児や肥満児などを、転地療養を兼ねて2~3年お預かりする
全寮制の施設だったのですが・・・」
懐かしい名前に、思わず口元を歪めるアイ。
健康学園か。その名前を聞いたのは何十年ぶりだろう。
規則正しく、爪を切るのは土曜と決められていたほど管理された生活。
仕切りのない畳部屋を4~5人でシェアして、家族と面会できるのは月に1度だけ。
外部からの持込は制限され、特にコミックやCDなどの娯楽品は全て不可。
当時はスマホなんてなかったけど、あったら当然ダメだったろうな。
「私はそこで教員をやっていた時期がありまして、
生徒は共に心身を鍛え、絆を育んでおりました。」
病弱やデブの他にも、ダウン症の子や集団生活に馴染めなかった子
(ADHDだったのかもしれない)もいた。
そんな環境だから、衝突も起きた。教員の見えないところで、陰湿ないじめもあった。
「今はもう、その大半が廃校になってしまいましたが、夏休みの間だけでも
健康学園のような環境で学ぶのも、生徒にとって良い経験になると
思うのですけどね。」
卒業の日に、車の後部座席で段々遠くなっていく学園を見ながら、
泣いたことを今でも覚えている。なぜかは自分でもわからなかったけど。
教員や友達との別れ?ようやく出れることの嬉しさ?なんか違う。
異常な環境だろうと、自分なりに努力して自分の居場所を作ったというのに、
それを手放して道を進まなければならないことが、残念だったのかもしれない。
校長先生は、アイが健康学園の元生徒ということを知らずに話したのでしょう。
もう20年以上も前の話ですから。
昔、そんな名前の映画と歌がありましたが、アイにとっては大事な思い出です。
その過去を経て今、あの施設で苦楽を共にした仲間たちと同じような人々を相手に、
薬局で薬剤師をしている。
学校保健委員会が終わったら、校長先生と話をしてみようかしら。
これも何かの縁だったのかもしれない。





