今年(2025年)の5月8日のことです
この日は、佐賀県への旅でした。
佐賀に行くのに、福岡県福岡市経由で向かいました。
福岡市都市高速に乗って、福岡市早良区(さわらく)から、国道263号線を走ります。
この日の一社目は、福岡県福岡市早良区(さわらく)曲淵(まがりぶち)の山神社でした
そこから、国道263号線のループ橋を登って南下し、三瀬トンネルを通りました
トンネルを通って、佐賀県に入り、間もなく右折して佐賀県道299号線(三瀬栗波線)に入ります。
二社目の神社は、佐賀県道299号線沿いの佐賀県佐賀市富士町の鏡神社でした
三社目は、鏡神社からそう遠くない、国道323号線沿いの、
富士町麻那古の春日神社でした
四社目は、同じ富士町古場の中山神社 (古場妙見神社)
そこから、五社目は、
佐賀県佐賀市三瀬村杠(ゆずりは)1358番41に鎮座されます
野波神社(のなみじんじゃ)です
佐賀県道275号線沿いです。
以前、この前の道を通った時に見かけて、とても気になったので、今回やってきました
さがの歴史・文化お宝帳から一部をコピペ<m(__)m>
社号 野波大明神
祭神 仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥 淀比吽大神(淀姫神)
應神天皇の御代、西暦268年に勧請された神社で当地では最も古く、、、(中略)
今から1700余年前の古墳時代初期に勧請されたことになる。
社伝によれば、往古、神功皇后が三韓征伐のため筑肥御通過の折、この地にもおいでになって、宇土の大石に腰をおろして休息せられる時、一帯の風光を眺められて「最も能き野奈美哉」と仰せられたので、この一帯を野波の里とよぶようになった。また、大石の前の河で御裾を麗がれたので、その地を渡瀬の手洗松と言い伝えられた。その御遺跡に御社を営み、古くから神埼佐賀七山の宗廟として崇め、上下の信仰が厚かった。七山というのは、杠・関屋・小副川・菖蒲・畑瀬・松瀬・名尾の七山である。
明治6年10月31日村社に指定され、また、同年には村内の無格社が整理統合され、それらの祭神10柱「手力雄命・久久能智命・武甕槌命・級長津彦命・素戔嗚命・大雀命・菟道穉郎子・菅原道真・源義経・十城別王」外合わせて15柱が別神として本神社に合祀された。
昭和48年には、詰ノ瀬山にゴルフ場北山カントリークラブが開設されることになり、海や河川にかかわりの深い祭神淀姫神の霊示が具現されたのであろうか、ダム湖水を眼下に見おろす中谷山の現地に社地社殿が構築され遷座式が盛大に執行された。
淡島明神 野波神社の境内には、別に淡島明神を祭った小社殿がある。土地の人は「あわしまさん」とよんでいる。
野波神社の淡島明神も、もちろん婦人病に効験あらたかとされ、安産・長寿・海上河川鎮護の神として、山内山外の人々に信仰されてきたのである。
出典:三瀬村史p710
神話を科学する(古代史探訪)のブログのサイトからの、野波神社の詳細な情報
このブログの筆者の事代主さんの分析によると、野波神社は、神功皇后さまの生誕地の可能性が高いそうです( ゚Д゚)
この神社の下宮があって、神功皇后さまの両親がご祭神だそうです。
ということで、ここは、神功皇后さまの実家、、、ってことなのかな
楼門(随身門)
可愛らしい随身様です
龍神である淀姫さまもご祭神です
実は、この辺りから、パワーが満ちてきました。
今、この写真を見てて、パワーが伝わってきます。
そのパワーがですね、、、、濃いくて重たい感じでした。濃密っていうか。。。
肥前鳥居みたいですね
なんというか、境内全体が、ちょっと異世界な感じです
拝殿の中の天井絵
摂社
これが淡島明神なのかな
中に、神宮大麻と、どなたか天部の仏様かな
参道を下って、次の神社に向かいます