佐賀県佐賀市 上無津呂 淀姫神社 山奥だけど、味わいのある神社でした(*'▽') | 晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

人生にはいろんなことがあって、いろんな日がありますよね~

2025年1月5日のことです。

 

この日は、 一社目が、佐賀県唐津市に御鎮座の諏訪神社お願い

二社目が、福岡県糸島市に御鎮座の伊都国稲荷神社🦊

 

そして、三社目が、

佐賀県佐賀市富士町大字上無津呂2844番に鎮座されます

上無津呂 淀姫神社(かみむつろ よどひめじんじゃ)

 

 

これは、駐車した場所の案内板下差し

淀姫神社のちょっとだけ奥に、重要文化財吉村家住宅というのがあるのです上差し

 

      きれいな小川が流れています。

      実は、この地は、かなりの、とてもかなりの、山奥の山里なんですウインク上差し

      

 

     

 

 

これは、肥前鳥居なのかなはてなマーク

 

 

西暦515年の創建らしいです。

山深い場所の古社を訪れると、いつも思うのですけど。

 

今でも山奥で、行くのが大変な場所なのに、1000年も1500年も前に、ここに人が住んでいたってことが、まずすごいです。

そして、その地に、その神社が存在し続けてるのが、驚くべきことだと思います滝汗

 

      

 

 

Yahoo!マップの概要をコピペ<m(__)m>

ご祭神は豊玉姫命(トヨタマヒメ)、玉依姫命(タマヨリヒメ)です。創建の年代は詳かではありませんが、文久3年(1863)9月に1350年祭の執行があったという記録があり、6世紀前半継体天皇の御宇の勧請であろうと察せられます。

境内にあるムクノキは樹齢200年以上、大きなイチョウの木は樹齢300年以上とも言われ、威風堂々とした存在感と迫力に圧倒されます。周辺には川頭川が流れ、神社の清らかな雰囲気をより一層演出してくれています。

 

 

さがの歴史・文化お宝帳のサイトから一部をコピペ<m(__)m>
 正親町天皇の永禄4年(1561)領主神代勝利、仝長良の父子兵を率いて川上に陣し、龍造寺氏と戦った。戦いに敗れて此の地に走り来って救いを求めた。

 

社人賀村大和守舎種は神代父子を社内に匿くし、俄に村民を集めて、大祭の態をして、神楽を奏して居た。追兵が来て、探索したけれども見付け出すことが出来ず、怒って火を放ったので社務所並に文書等はその時焼失したけれども社殿には及ぼないで、神代父子は無事にのがれることができた。

追兵が退いて後、神恩の大であることを謝して、即座に佩刀2振を奉った。後神埼郡三瀬に帰城するや、田7町5反余を奉納して神代家鎮護の神と仰いだ。
玄亀2年(1570)2月長良公社殿全部改築。貞享5年(1688)神代利実修築をする等崇敬一方ならず、神埼・小城・佐賀に亘る十二ヶ山の崇祀として神威嚇々。明治6年(1873)郷社に列せられる。祭神高皇産霊神外六柱の神は無格社合祀によって追加した。

 

 

レイクサイド北山・ウェルカムセンターさんのブログです下差し

 

      手水舎あせる

      

 

      逆光で暗いチーン

      

 

拝殿お願い

 

     ひゃ~(;゚Д゚)

     この狛犬様、頭が重そう滝汗

     台の上に頭を置いているからいいけど。。。

      

 

      こちらは、あまたを低くしているから大丈夫ですねウインク上差し

      

 

 

奥行きが長い拝殿ですね上差し

 

御本殿

立派ですキラキラ

 

ひょえ~びっくりビックリマーク

この木何の木気になる木音譜

 

ムクノキは、神社では、あまり見かけませんウインク

 

こんなに、ま~っすぐなアップムクノキ、珍しいのではびっくりはてなマーク

 

      これは下差し、山口県美祢市の別府弁天池のところの厳島神社ムクノキ

      

 

佐賀では、こんな素朴な神馬様馬をよく見かけます照れラブラブ

 

なまず様だぁ爆  笑

盗まれたことがあるそうです。ガーン

だから、二代目なまず様(〃艸〃)ムフッ

 

この地域の人は、なまずを食べないでそうですウインク上差し

 

 

 

 

 

 

 

      注連縄柱のたもとにいらしたこの方は、、、

      狛犬様にも見えるし、龍様にも見えるし、、、

      

 

      どなたにしろ、長い間、淀姫神社を護い続けてくださってるのでしょうお願い

      

 

紙垂を揺らしてくださって、歓迎されました。

また行きたいな照れラブラブ