山口県宇部市大字奥万倉(おくまぐら)に鎮座します
廣矛神社(ひろほこじんじゃ)
1つ前に紹介した「宮尾八幡宮」さんが管理されてるようです。
宮尾八幡宮からは、車で5分か10分ぐらいかな
ひっそりと、森の中にたたずむ神社です。
ひっそりと。
境内は、きれいに整然と整備されています。
御祭神は、
主祭神が、 大國主神(=大己貴神(おおなむちのかみ))さま
配祀神が、
事代主命(ことしろのぬしのみこと)さま、
武御名方命(たけみなかたのみこと)さま
宮尾八幡宮のホームページの要約
由緒
もとは、若一王子神社(わかいちおうじじんじゃ)と称した。
鎌倉時代(1288~98)に、この村の柏の木(かしわのき)に、神様が降りられた。
それで、この地にお社を建て祀った。
不思議なエピソード その①
1469年に、ある村人が、神社のあたりで葬儀を行った。
その夜のこと、社殿が震動して、扉が開き、御神体が消えた。
でも、違う場所で見つかった。
不思議なエピソード その②
神さまが神託、隣村の天龍の加護する霊場に遷りたいと告げた。
村人に告げたが、村人はめんどくさがって従わなかった。
すると、神社の前を馬で通る人は、必ず落馬して怪我した。
神託で、これは神の祟りとわかった。
それで、お坊さんに大般若経を読んでもらって、神様を慰めた。
明治4年に、大己貴神さまと他の二柱を合祀して、廣矛神社と改称した。
明治42年に、厳島社、須賀社、若宮神社を合祀した。
この”広矛”であるが、云われは大国主命の地方統一伝承にみられ、それは日本書紀の葦原中国平定の条に「そして大己貴神はかって国を平定したときに、杖とされた広矛を二柱の神に授けて、天孫が、もし、この矛で国を治められれば、必ず無事に納めることが出来ましょう」とあることによります。
・・・以上ホームページの由緒より抜粋
石段はあれど、お社は無い。。。
境内社 若厳須神社跡と刻んであります
ホームページの由緒から、若宮社と、厳島社と、須賀社の頭文字をまとめたようです。。。
面白い、というか、まとめないといけなかったんですかねぇ( ̄▽ ̄;)