改修の終わった岡山城をいつか見に行こうと思っていたのだけど、やっと今日行けた。
入り口で見上げると軒飾りや鯱鉾の金が鮮やかで美しい。
にもかかわらず今の天守閣は昔のまま寸分違わない形となっている。
なぜか?それには訳があって、そのままの岡山城があった頃、岡山大学の一学生が天守閣の構造を測量し、その測量結果と図面を卒業論文にしたのが残っていてそれを資料に再建したのだそうな。
だから、内部は兎も角外観は宇喜多秀家の頃と全く変わらない姿となっている。
その天守閣、まずは四階までエレベータで上がり六階の最上階へは階段で上る。
最上階はかなり狭く、やはり木造建築ではこうなるのだろうなと思った。
次いで一階づつ展示を見ながら降りていく。
展示内容は磯田道史氏の監修だから学術的にしっかりした内容で拝見していて興味が尽きなかった。
そのなかで驚いたのが我が庭瀬の「庭瀬城」の城主「戸川氏」のこと。
もと宇喜多秀家の家臣だったのが関ヶ原の戦いでは東軍に属し、かなりな功績を残した。それで、関ヶ原の戦いののち廃城となっていた庭瀬城を徳川幕府より与えられ城主となった、とあったこと。
戸川氏の来歴を知らなかったので、私、上説明に驚いた。
さらに宇喜多秀家の刀などが展示され、同じ重さの刀や他に火縄銃を実際に持てるようにした展示もある。持って見たけどその重さに驚いた。
刀は80cmほどだがズーンと重い。
こんなの「水戸黄門」の助さん角さんみたいにヒュンヒュン振り回せんぞ!と思った。
何だかんだで興奮気味の展示を見ながら天守閣を 後にしたのでした。
続きはあした。