【井伏鱒二・「鞆ノ津茶会記」】 | せのお・あまんの「斜塔からの眺め」

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幾夜幾冊、井伏鱒二(1898〜1993)の「鞆ノ津茶会記」。元版は1986年刊、著者晩年の、というより長篇小説はこれが最後の作品だ。井伏鱒二と言えば「黒い雨」だが、「さざなみ軍記」「ジョン万次郎漂流記」という歴史小説もある。


備後国の寺や数寄屋を借りて都合15回催された茶会の記録、という体裁を取りながら、秀吉が栄華を極める時代に隠れ住む者たちが語り出す。登場するのは男ばかりで会話しかないのが珍しい。

この時期は書くことが盛りだくさんで田舎の出来事などにまで手が回らない、と凡百の小説家は言いそうだが、井伏鱒二はそこが違う。


もちろん自身の故郷というのもあろうが、土地の風土を巧みに織り出して読ませようとする。その例が毎回記されるご馳走の記述だ。


茶会記と名打つだけに当日の料理の献立をそっけなく書く、山海の珍味ではないが瀬戸内の幸盛りだくさんなのはたぶん土地の印象付けにふさわしい。


茶会はやがて酒盛りと化して、「茶碗酒、次から次へと注ぎ足す」などと書いてあるのに当たったら、これは話が剣呑になってくる、という合図だ。


何の話かというとこれが秀吉へのあからさまな罵倒なのだ、全篇これ秀吉という人物の品定めに終始するが、なかなか痛いところを突いている。


ここに登場する無名の人々は「かつて小早川隆景に仕えていた」「備後国を生活圏とする」という共通項はある、安国寺恵瓊以外は実在したかが少々疑わしくあるが。


小早川隆景の家臣ということは毛利氏に仕えた人々で、毛利氏の支配地たる中国地方も秀吉に荒らされたわけで、積年の恨みつらみを、酒席でばらしまくる。 


時が進むにつれて秀吉の朝鮮出兵、そのとばっちりの千利休処刑と話が進む、その情報も入ってくるに従ってだんだん口が悪くなるが、そこが読みどころだ。


誰の悪口かというと秀吉への悪口で、これが読んでいてなかなか的を射たのばかりなのでその秀吉も死に、そして落ち着く間もなく家康という次の脅威に彼らは巻き込まれてゆく。


そして安国寺恵瓊とその一党は戦死し、さらに悲惨な事態が降りかかって来るわけだが、そこまでは書かない。


「黒い雨」もそうだが、戦争そのものではなく、心ならずも巻き込まれた人たちに焦点を合わせて戦争を描くというのが井伏鱒二は上手かった。その点これは小説らしい小説だ。


そこまで肩肘を張らなくても、山陽地方の隠者たちが酒食を共にしながら、昔話や世間話に興じるのに付き合ってこちらも楽しむ、そういう読み方も良かろう。


少なくとも面白いのは、全篇これ豊臣秀吉の悪口三昧なところで、故A首相の悪もこれに比べれば高の知れた、みみっちさ。そういや彼は、関ヶ原の戦に敗れた毛利氏の押し込められた周防の出だが。