仏教と言うのは、皆同じじゃないのか?・・そうだ!仏教の祖と言えばシャカだ!おシャカさんだ! 「大王様、仏教を興したのはシャカの筈ですが、その創始者の教えと日蓮の教えとは違っているのですか?」「違っている訳ではない、本来の立場が違っているのだ。」 立場が違っているって?そんなバカな、シャカも日蓮も同じ仏じゃないか?「まあ、そう力むな、結論から言えば、釈尊は日蓮上人に対しては、ただの仏にしか過ぎない、つまり日蓮上人こそが本仏だと言う事だ」えっ!そんなバカな!「本仏だと言うのは、一番偉いと言う事なんですか?」「そうとも言えるな」とんでもない!シャカは創始者のはずだ。いくら偉い大王であろうと、これだけは間違っている。仏教の基礎を開いたシャカよりも、はるか後から生まれた弟子とも言える日蓮が偉いとはあり得ない!「間違ってはおらぬ。お前サラリ―マンとして生きて来たな。もし、お前の手に余る問題が起きた時、お前はどうした?上司に相談し、その上で問題を解決出来る人間が対処したはずだ。」 そう言われてみると、そういう事もあったなあ・・。あの時は、久し振りの大型契約が取れたので上司と喜び会ったんだが、その後、社会情勢の変化などもあって、契約そのものが破棄されようとしたんだっけ・・結局、社長が出張って行って収まったんだが・・シャカと日蓮もその様な立場なのか?「無神論者だったお前には少し難しいかもしれんが説明してやろう。釈尊は約三千年前にインドで生まれた。」そうだよ、シャカは三千年もの昔に生まれているのに、日蓮は鎌倉時代だから・・七、八百年前にしかすぎない。やっぱりシャカは日蓮に対し大先輩であり、しかも、創始者でもあるのだ、どう考えてもシャカの方が偉いはずだ。「ゴチャゴチャ考えずに話を聞け、釈尊はシャカ国の王子として生まれたのだが、民の生老病死などの苦しみを見て、何とか救う方法はないものかと十六歳の時、王子の位を捨てて城を出るのだ。その後、十四年に渡る難行苦行の末に、三十歳で悟りを開く、この事を始成正覚と言う。」シジョウショウカク? 何て厄介なんだ、仏教用語と言うのは。 「初めて悟りを開いたと言う事だ。面倒だろうと釈尊を語る上で大事な事だ。これ以後、釈尊は悟った法を人々に説き始める。先ず、華厳経と呼ばれる教えを説くのだが、内容が高度過ぎて理解してもらえない。そこで、低い教えである方等教や阿含経などから始めたのだ。釈尊はインド国中を歩きながら悩める人々の問いに対して、その都度ごとに法を説いたのだ。これを随他意の教え、と言う。つまりは人々の心に従って説いた教えと言う事だ。結局、釈尊は四十二年もの間に八万宝蔵と言われるほどの膨大な教えを説くのだが、ある時から、民衆は勿論のこと、高邁と言われた弟子たちでさえ”アッ”と驚いてしまう教えを説くことになる」「驚いてしまう教えですか?・・」「そうだ、それが法華経と言われる教えだ」ホケキョ?エッ!ホケキョと言えば、ウグイスの鳴き声ではないか、ウグイスはシャカの使いだったのか?「そうではない、法・華・経だ」 ホケキョウ、ホケキョウ、・・そうだ!思い出したぞ、あれは葬式に出た時の事だった。布施の額の多少によって読誦される経が違うらしく、「多額の場合は法華経が読まれるそうですよ」とささやく人ががいた。「すると、法華経が最高の経典と言う事なんでしょうが、最高の教えが金に左右されるなんておかしな話ですよね」と。初めて会った男ではあったが、読経の最中にヒソヒソと話し合った事があったが、あの法華経なのか? 「その法華経だ。この法華経は先ほどの、随他意の教えとは違って釈尊が自らの意思で説くので、随自意の教えとも言うのだ。法華経以前の教えでは、女人や悪人、特に二乗と言われる生命を持つ者は絶対に成仏しない、つまりは、仏になれないと教えて来た。」「ニジョウとは何の事ですか?」「お前たちの世界で言えば、インテリと評される連中の事だ。『我、賢し』の思いが強くて、人の話を素直に聞けない傾向が強いからだ。この様に以前の教えでは絶対に成仏出来ないとされて来た人間達も、この法華経で初めて成仏への可能性が示されたのだ。」 俺は生涯を極めて無神論者として通したせいか、仏教の中身はおろか、成仏と言う言葉さえピンとは来ない。人は死んだら”仏”と何度か耳にした事はあったが、そうではなかったのか?「成仏と言うのは文字通り”仏に成る”と言う事だ。死んだら仏と言うのは教えの低い葬式仏教の言うセリフだ。生きている時にこそ仏に成れずして、死んだら仏とは、いささかおかしな話ではないのか。」 そうか、生前のある時期”東京が駄目なら大阪があるさ”と言うフレ―ズの流行った事があったが、俺にはそうは思えなかった。東京で成功出来ない者が何故、大阪に行けば成功すると言うのか?東京が駄目なら大阪でも駄目だし、何処へ行っても成功は覚束ないだろうとの醒めた思いがあったが、その様な意味合いなのか?「いいか!長々と反応せずに話を聞け。例えワシだろうと無制限に時間がある訳ではない、分かるな。 釈尊は常々、仏にだけは到底なれるものでは無いと説いて来たのだが、法華経に来て初めて、全ての人間に”仏に成れる可能性”があると説いたので、その場に集まっていた数多くの人々が”アッ”と声を上げる程に驚いてしまうのだ。そして、成仏の可能性の理由として”諸法実相〟と”一念三千〟がある。」