「お前に一つ尋ねる、宗教の使命とは何だと思うか?」「大王様、無関心だった私が答えるんですか?」「分かっておる、今までの説明の中で答えれば良い。」「ウ―ン・・つまりは、悩める人々に希望を与えたり、生きる道を教えたりしながら・・・幸せな人生へと導いて行く、こんな物だと思えますが‥?」「大方、お前にはそんなものだろう。使命の中で、最も大事なことはあらゆる民衆を”絶対的幸福境涯〟へと導いて行く事だ。その為には絶対欠かせない行為がある。それは弘教と呼ばれるものだ。考えて見ろ、如何に偉大な教えであろうと、民衆の中に広まって行かねば宝の持ち腐れであり、宗教本来の目的から大きく脱する事になる。当然の事として釈尊も弘教を進めるのだが、とりわけ、滅後の二千年後に来る”末法〟と言われる時代の弘教を強く勧めるのだ。会座に参集していた仏・菩薩たちは、勧めを耳にすると口々に「私達がやります!世尊、どうかご安心を!」と、誓いを述べるのだが、やがて釈尊はそれらを押し止め、自ら地の下方から”地涌の菩薩〟と呼ばれる人々を召し出す。上行菩薩ら四菩薩を先頭にして、まるで豊かな地下水が吹き上げるかのように陸続と湧いて来るのだが、ただ単に湧いて来るのではなく先頭の上行菩薩からして、喜びを表すかの如く舞を舞いながら出て来るのだ。後に続く菩薩達も同じように、待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべながら出現して来るのだが、その数はと言うと、実に六万恒河沙もの菩薩達が湧いて来る、ちなみに一恒河沙とは大河・ガンジスの砂の数となる。ところで、お前の好きだったコ-ヒ-に使ったコップでさえ、どれ程の砂が入ると思うか?小さくとも数千や数万の数は収まるだろう、こう考えると、いかに莫大な数の菩薩達が出現したのかが分かるな。この模様を目にすると、会座に集まった十大弟子を始め、あらゆる仏・菩薩、そして民衆の全てが驚愕してしまうのだが、やがて、大きな疑問へと変わって行く、この膨大な数の人々を、世尊は一体どこで教化して来たのか?とな。当然の疑問であろうな。そこで釈尊は、その疑問に対する答えを述べる。 私が三十才の時、菩提樹の下で悟りを開いたと思っているだろうが、そうではないのだ。実は、五百塵点劫と言う過去遠々劫において仏に成り、それ以来あらゆる国土でこれらの菩薩達を教化して来たのである、と答える。この五百塵点劫とはほぼ久遠と言えるほどの過去の事で、ゼロを並べたとすると、どれ程のゼロを並べればいいのか分からない位の過去となる。」「チョット・チョット、大王様!さっきから聞いてると何ですか?私をバカにしてるんですか?この宇宙はⅠ38億年前の、ビッグバンと言われる大爆発によって創られたと言われていますし、それに何です!ガンジス河の砂の数ほどの人間達が躍りながら出て来て、しかも六万のガンジス等と、シャカは我々人間をオチョクッテいるとしか思えません!」「マア待て、そう興奮するな、それじゃあ尋ねるが、お前の言う大爆発があったとしよう、いいか、この宇宙には一体何個の星があるのだ?そしてその質量は如何ほどだ?想像を絶する莫大な質量が必要となるのではないか?おかしいとは思わんのか?あるいは、お前の住み暮らした地球に向かって百五十億年の彼方から莫大な数の星々が近付いて来ているかもしれんぞ、あるいは、ビッグバンと呼ばれる爆発は何回目だったのだ、一回目か?それとも十回目だったのか?どうなんだ?」 「急にそう突っこまれても困ります・・・只、私の生きている時の常識からは考えられなかったんです」「ワシも少々言葉が過ぎた感があった、許せ。ワシが言いたかったのは、膨大な数の地涌の菩薩にしても、途轍もなく長遠な過去にしても、釈尊が悟りを開いた時、自分の本地も、数多くの菩薩を教化して来た過去も全ての事が明解になったのだ。これが釈尊の本当の姿なのだが、”久遠実成〟の仏とも言う。 この釈尊が強く勧めた末法における弘教についてだが、末法と言う言葉をどう思う?」「何度も耳にした訳ではありませんが、明るい希望も見い出せず、閉塞感の漂う時などに、世も末だとの意味合いで使われたような気がしています。」「そう言う風に捉えられたとしても不思議ではあるまい。」