「釈尊の死後二千年間を半分づつにして、正法時代・像法時代と呼ぶのだが、この時代の衆生と言うのは釈尊との縁も深く、従って釈尊の教えで救われるとされている、一方、末法に生まれて来る衆生と言うのは、縁もゆかりも無く、人間性についても三毒強盛なる輩が充満すると言われている上に、教義についても争いが絶え間なく起こり、やがて、釈尊の教えは廃れて行く事になる、この事を”白法隠没〟と言う。」「それは、シャカが自分の勤めを投げ出した、と言う事ですか?」「投げ出した訳ではないが、結果的にはそうなるな。ここが釈尊の限界なのだ。」「私は、シャカこそが一番であり、日蓮などは、その弟子か亜流位にしか思ってませんでした。そうすると、仏教で一番偉い人とは誰になるんですか?」「最も大事な質問だな。答える前に説明しておかねばならない事がある。それは、末法と言う時代に妙法を広めるに伴う困難さだ。先ほど述べた三毒だが、これは人間の持つ善根を毒する煩悩でな、一つ目は、貪欲(とんよく)と言い、むさぼりを喜びと感じる心、二つ目は、瞋(じん)で平たく言えば怒りの事だ、三つめは、痴(ち)≪字が少し違いますが勘弁して下さい≫ と言い、無知であり・おろかな事でもある。この様な人間が充満している中を弘教しなければならぬのだから、その苦労が分かるというものだ。他にも、悪口雑言は勿論の事、刀や杖で打たれ、瓦や石を投げられとも記してある。又、弘める難しさを端的に表した言葉に”六難九易〟と言うのがある。六つの難しさとは、末法において法華経を説き、書き、読み、一人の為に説き、意義を問い、受持すること、これらの六つが困難であるとされ、一方、これに対する九易と言うのは、世界一の山を他の無数の仏土に投げ置く事、大地を足の甲に置いて梵天まで登る事、あるいは、乾燥した草を背中に背負い、大火の中でも焼けない事、等々の九つが易しいとされている。」「大王様、そのクイと言われた奴ですが、誰にも出来っこありませんよ、あのス-パ-マンにだって無理です。」「ワシもそう思うが、これは例えだ。誰にも出来そうにない事でさえ、末法に於ける弘教に比べれば簡単な事であり、末法に妙法を広める作業が如何に困難であるのかを物語っているのだ。釈尊は更に、地涌の菩薩の棟梁である上行菩薩の保つ法こそが、末法万年に渡る法であると断言している。」「つまり、一番偉いのは上行菩薩なのだ、と言うんですね。」「偉いとか、偉くないとかは適切ではないが、結局はそう言う事だ。 日蓮上人は十二歳の時、近くにあった清澄寺に登ると、道善房を師として天台や真言の学を修め、やがて、出家剃髪して”是生房・蓮長〟と名前を改め、鎌倉を始め全国の主要な寺院を回って、あらゆる経典の研鑽に励んだ後の、三十二歳の時、故郷の清澄寺の持仏堂の南面から、”南無妙法蓮華経〟の題目を高唱すると、諸宗の誤りをも破して”立宗宣言〟としたのだ。その後、鎌倉に出て草庵を結び、妙法弘通に励むのだが、当時の日本は飢饉や疫病等の流行で、民衆は塗炭の苦しみに喘いでいて、それを見た日蓮上人は根本の原因は誤れる宗教にあると見抜き、立正安国論として時の幕府を諫めたのだ。この様に聖人は、立宗の宣言にしても安国論にしても、諸宗の誤りを厳しく攻めるので徹底的に嫌われてしまう、結局、流罪等の大難が二度、首を切られようとした龍の口、その他の小難は数知れず、当時の僧侶の殆どが権力の庇護を求めたのに対し、日蓮上人だけが民衆救済の旗を掲げて闘ったのだ。」「大王様、まだモヤモヤとはしているんですが、感じている事を言ってもいいですか?」「良し、大いに結構だ、言って見ろ」「つまり・・多くの経典を研鑽した上での結論として、自分の立場と言うか・・本質と言った方がいいのか分かりませんが、自分のあり方を悟った時、多くの難に襲われる事は分かったと思うのですが・・?」「その通りだ、日蓮上人は自分の身の上に筆舌に尽くせぬ、あらゆる難が降り掛かって来る事など、既に分かっておった。」「分かっていながらも、宣言した訳ですね・・」「そうだ、自分のみならず、両親や親族・郎党、係わる人・全てに襲って来る事も承知の上でだ。」「私だったら、災いがあるのを承知で飛び込むなどしません・・」「殆どの人間がそうするだろうな、お前は、日蓮上人に迷いが無かったとおもうか?少しの逡巡はあったが、言わねば、『自分に慈悲が無いのに等しい』と思われて宣言の運びとなったのだ。」「言うなれば、覚悟の上での宣言だったんですね。」 それにしても、命を掛けてでも民衆救済の行動を起こすなど、俺には絶対・出来ない事だが、仏の責任とは凄まじいものだな。いや・待てよ・・今まで俺は、本仏とされる日蓮を呼び捨てにしていたが、知らなかったにせよ、これでは申し訳ない気がする。「大王様、済みません、もう一つ感じる事があるのですが。」「言って見るがいい」「エ―、つまりですね・・法華経と言うのは、つまり、日蓮さんが現れるのを予言していた、とも思えるのですが・・」「そうだ!その通りなのだ!良くぞ、感じ取ったな。聖人の出現が無ければ、法華経は言い切ってしまえばだが、ただの紙切れ同然となってしまうのだ。出現して、あらゆる大難を乗り越えながら妙法弘通に励まれたからこそ、法華経の真実が証明されたのだ。それにしても、お前には見込みがあるぞ。」「大王様、日蓮さんも此処へ来たと思うんですが、シャカとは、つまり・・その光と言うか・・違いはあったのですか?」「あったどころではない、比較にならん、まるで天地雲泥の差だ。考えて見ろ、先ず時代相からして違うだろうが、釈尊には縁のある従順な人間であるのに対し、聖人には、自分を亡き者にしようとする悪人が充満する中での弘教なのだ、その差は当然すぎる程分かろうと言うものだ。聖人が見えた時、ワシの世界は光に覆われたのだが、手下共も異変に気が付いたのだろう、全ての手下がワシの横に並んだのだ。何を感じたものか、ゴツイ手を盛んにこすったり、涙を流さんばかりにしながら頭を下げたりと、今まで見たことも無い光景が広がったのだ。いよ々、ワシに近付いて来た時、エネルギ-の強さには驚嘆したものだが、聖人が去った後、信じられない出来事が起きていた。」「エッ、一体・どういう事なんです?」「手下の三匹がいなくなっていたのだ。ワシは、強力なエネルギ-を浴びた結果として、昇華したとおもっているのだ。」「ショウカしたって?食ってしまったと言う事なのか!」「そうではない、お前達人間からすると、境涯が上がったと言うべきか、良く分からんが事実なのだ。ワシ等は魑魅魍魎の類だ。人間を始めとして、あらゆる生物とも違うし、かと言って、広大な宇宙の空間に漂う魂とも違う。しかし、存在していない訳でもない。声を発する事は無くとも、確かにお前と会話を重ねているのだからな。 ワシがこの世界に君臨してから長い事になるが、魑魅魍魎であるワシ等が、その枠から脱するなど、あり得ない現象だったのだ。」 その瞬間だったが、今までに無かった事が起きた。俺の魂は小さな魚が大きなモリに突き刺された様に、身動きさえもままならなかったが、それが急に緩んだのだった。何故だ!何故なんだ!俺は、いぶかりながらも自分を見回した後、大王に目をやると、その眼は俺からは逸れて、下の方を見ている様だし、その上、ゴツイ両腕は組んでいる様にも見える。一体!何がそうさせるんだ!この世界の帝王であるエンマ大王が何故なんだ!何があったと言うんだ!俺は大王の不可解な動きの理由を探ろうと自問自答を始めた時、又しても、不思議な事が起きた。空気などある筈もないのに、強い振動が俺を貫いたからであったが、しかも、「ゴオ―」っと、音を立てながら凄まじい濁流が俺の魂に襲い掛かって来た感さえした。かって俺が生きていた時に体験した時間の何秒に当たるのだろう?二秒か、それとも三秒ほどの長さだったのだろうか?しかし・又しても頭をひねる間もなく、俺の魂は、あの窮屈な枠にはめ込まれたのであった。