前回、『あなたを変化させないための儀式』について書きました。
今回は『あなたを変化させるための儀式』について。
繰り返しの行動を求め、パタ-ン化する『肉体の知性』を逆利用したものが、『あなたを変化させるための儀式』です。
このやり方をよく知っていたのがかつての宗教です。
日本人なら誰もが行う、食事の前の儀式。
いただきますと言い、手を合わせる。
かつて僧侶たちが、誰にでもわかる形で仏教を広めたいと考え、難解なお経などではなく、日常のなかで誰でもできる、神仏、自然や人との繋がりに感謝をもってもらうためには…と意図し、このようなやり方が一般に普及したのではないかと思います
(いただきますの言葉には諸説ありますが、私は僧侶ですので、仏教由来説を書かせていただいています)。
前回書いたように、人は繰り返しのパタ-ンに弱い。
いまこの文を読んでいる方で腕時計をしている方がいたら、逆の腕へつけてみてください。
最初はとても気持ちが悪いですよね?
しかしそれを一カ月つけ続けたと想像してください。
きっと今度は、元の位置が不自然に感じると思いませんか?
ある程度の期間、新しい繰り返しのパタ-ンを保つと、今度はそれそのものが、永続的なパタ-ンとして肉体の知性は理解し、インプットし、新しいパタ-ンを繰り返すようになります。
そして新しいパタ-ンには、新しい意図が必要です。
上記のいただきますの例で言うと、いただきますの言葉を知らなかった当時の人たちも、ある程度繰り返すことによって、感謝の意図を含めた儀式を自然と行うようになってしまうということなのです。
つまりあなたを変化させるための儀式とは、『新しい意図を持った言動をパタ-ンとして繰り返し行うこと』です。
人を変化させるためのテクニックとして、繰り返しの儀式を宗教の教えなどで使用したのは、このことをよく知っていたためです。
まとめます。
『あなたを変化させないための儀式』を打ち破り、わかっちゃいるけど、やめられない状態をぬけだすには。
あなたがどうなりたいのか?という意図を定めること
『行動のすべてを自分の意図が反映する儀式として扱い、意識的に日常を過ごす』ということ。
それが『あなたを変化させるための儀式』です。
ひとつ例を挙げたいとおもいます。
ベトナムの高僧、ティックナット・ハン氏が、マントラにはどのようなものがあるのかと訊ねられたとき
「『愛する人よ。わたしはあなたのためにここにいる』という言葉を日常でいつも口することをおすすめします」
と答えました。
これも日常でできる儀式の形のひとつです。
パートナーや家族との関係につまずいたとき、もしあなたがこんな言葉をいつも口にできる儀式のパタ-ンが身についていたら…と想像してみてください。
なんだか、ちょっと(かなり?)恥ずかしいけど、もしパートナーがこんな言葉を口にしてくれたら、ほんわりと何かがほどける気がしませんか?
また私自身の儀式の例を挙げたいと思います。
昔、私は怒りと自分への裁きがとても強い人間でした。
他者が間違っていると思う時、自分が失敗してしまったと思う時、それこそ徹底的に、相手を攻め、自分自身を裁くという儀式を行っていました。
そうすることによって自分を奮い立たせ、正しいことをしているのだと信じ込ませるための儀式だったと言えます。
でもあるとき、怒りと裁きによる人生にはもう懲り懲り。絶対に戻りたくない。
変化しよう!!と強く意図した瞬間がありました。
そしてシンプルな新しい儀式を思いつきました。
何かトラブルがあったとき、自分自身を怒り、裁く儀式の代わりに
「本当に。本当によくやっているよ。どんなことがあっても、私だけはあなたを認めているよ」と自分自身に声かけをするという儀式。
この儀式ははっきり言って、とても効きました。
それでも納まらないときには、何度も自分に言ってあげると、子供がしばらくすると言うことを聞くように、頑固な心が、じんわり・ゆっくりほどけてくるのがわかりました。
パタ-ンを繰り返す私たちの肉体側の知性は、子供のようなものです。
その要求を理解した上で、親である魂が意図と方向を定め、肉体と協力をしていく。
繰り返しの儀式のパタ-ンをこのように使うことで、肉体の求める安心・安全と魂の求める毎瞬の新しさ・よろこびが統合されていきます。
そのしくみさえわかっていれば、日常を意識的な儀式とし、人生を変えていくことは何も難しいことはありません。
…というわけで、儀式について長々書かせていただきました。
ちょっと固くなってしまいましたが…(^_^;
日常などで活用していただければと思います
反抗的なだいちゃん。へびか犬かわかりません。
わし、絶対言うこと聞かないもんね。
耳タコで言い聞かされ続けて、あくび状態。
わかった。わかった。わかりましたよって。
気づいたら、仲良しに。これぞ肉体と魂の統合状態?