◆元三大師研究
角大師について
そもそも良源(以下、元三大師)と言う高僧は如何なる人物であったのでしょうか?
第18世天台座主、延暦寺中興の祖、などと決まり文句がその生涯には並んでいます。
『慈恵大僧正伝』『同拾遺伝』『慈恵大師御遺告』などの古文書や、周辺の歴史資料、後世の研究書などから、その生涯と功績については一定の元三大師像が出来上がっています。
しかし正史から食み出した厄除大師(角大師・鬼大師・豆大師)としての信仰は、余りにも高僧としては相応しくない醜態ではないかと思われます。
真言宗の寺院を巡れば、その厄除大師である空海、即ち弘法大師は、実に立派な巡礼姿の銅像で奉拝者を迎え入れています。
ところが元三大師は・・何故こんなお姿に変化しなければならなかったのか・・その確たる文献がない現在、その解明が元三大師研究の民俗学的終着点だと考えています。
では、まず角大師について考えてみましょう。
(画像:深大寺散華角大師)
「平安の昔、疫病が流行った時のことです。ある風雨が鳴り止まぬ夜、疫病神が慈恵大師の前に現れ、「お前も罹らねばならぬ」と小指にとりつきました。
大師はたちまち発熱しましたが、少しも驚かず、禅定に入って心を整え、おもむろに小指を弾きました。
すると疫病神がころがり出て、熱も下がりました。
早速大師はその時の姿を弟子に写させ、版木に彫り「お札」を刷らせました。
そしてこのお札を家々の戸口に貼らせると、その家の者は疫病に罹らず、又罹った者はすぐに快方に向かったのです。
このお札の大師のお姿は何と角の長い魔物のかたちをしておりました。以来このお札は角大師と呼ばれ、厄除大師として広く信仰を集めて来ました」(寛永寺両大師、角大師絵馬の解説より)
埼玉県川越市にある喜多院のホームページに貼られた画像がわかり易いのですが、これは『元三大師縁起絵巻』の複製ではないかと思われます。
鏡に写った角大師か鬼大師の姿が見て取れます。
(画像:喜多院HPより)
この角大師護符を玄関に貼ると、疫病は元より、盗難や厄難、火難から家を守れると全国で大流行することになりました。
(画像:埼玉県小川町の旧家)
これは埼玉県小川町にある古い民家の玄関で見つけたのですが、こちらにお住いの方も各地で多種多様の角大師護符を集めたのだと想像出来ます。
縁起も凄い話ですが、夜叉を模したという角大師のお姿は、どう考えても昆虫の類にしか見えません。
そもそも長い角ですが、元三大師の長い眉毛が変化したものと言われています。
そして江戸時代の杉田玄白・前野良沢が著した『解体新書』を遥かに遡る時代に、肋骨と肺、臓器が描かれているのには驚かされます。
本当にキリスト教のサタンなのです。
パートナーの美月は、「姿を描かせた弟子が下手だったから」と言いますが、それを描き写した弟子の明普阿闍梨の絵を見て元三大師は満足したと言われています。
アマビエと並ぶ疫病退散の霊力を持つ角大師ですが、残念ながら一部地域を除いて、コロナ禍にあっても全国区になることはありませんでした。
このお姿では仕方がないと思います。
真に不可思議・・この後、「元三大師関連寺院」でご紹介していきますが、元三大師マニアにとってこの異形こそが信心への動機づけとなって行くのです。