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ツナの部屋

わたしの「関心事」です。情報交換したいです。

現在制作中。完成が楽しみ↓

「多くの人と同じように、シンディ・ローパーが80年代初頭に音楽シーンに登場したとき、私は彼女もまたMTVのおかげで名声と成功を手にした若いスターだと考えていました。彼女のミュージックビデオはワイルドでカラフル、“Girls Just Want to Have Fun”のような彼女の歌は人を惹きつけます。しかし、結局のところ、彼女の物語は、厳しい試練と努力、そして不屈の決意の物語なのです。シンディは、自分の声をただ聴いてもらうだけでなく、聴いてもらうための声を求めていたのです。このドキュメンタリーは、シンディ・ローパーの完全な肖像画となります。彼女の“True Colors”が輝いています」

以前のブログ記事「シンディ・ローパーと中森明菜(2)」で、あえて指摘しなかった、ふたりの共通点がある。それは、スターとしての輝きだけでなく、翳りや憂いがあること。その翳りや憂いは、ふたりの生い立ちの苦難からくるもので、表現者になることへ向かわせる背景や要因にも関与している。偉大なアーティストとしての原点にある、苦難と不屈の精神を紹介する。

 

シンディの苦難と不屈の精神

著書「トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝」によると、シンディは、疎外感や自己不全感を抱えて育った。初めの試練は、シンディが5歳のときに、両親が離婚したこと。大好きだった父親が家を去り、そのために母親はウェイトレスとして働きづめの日々を過ごした。そして、学校での生活はというと、周りとなじめず、集中して勉強することも苦手だった (診断はされていないが、シンディは注意欠陥多動性障害を疑っている)。そのため、四つの学校を転校した挙句、退学した。

私の悲しみは子供の頃ひどく疎外された気分で自分がなぜ生きているのかさえわからなかった、というところから来ているのだけれど。「どうして神様は私をこんなにヘンテコに、いつもこんなに現実離れしてお創りになったんだろう?」とよく思ったものよ(p.311)

 

子供の頃に「クソみたいな気分じゃなくても クソの降ってくる地面みたいな気分ってよく言ったもんだけど そんな気分はどうやって止めたらいいのか分らなかった。わたしは、すっかり途方に暮れていた。自分がなぜ生まれたのか 理解できないって気分だった(p.43)

 

9歳からの一時期、シンディはカソリック系の学校で寄宿舎生活を送るが、そこは規律正しい生活を押しつけるところで、シンディはそこのやり方に合わせられず、トラウマになるような激しい体罰を受けた。疎外感や自己不全感を抱えたシンディが救いを求めた先は、アートの世界だった。

言えるのは、高校でからかわれていたとき、きつかったってこと。完全にアウトサイダーみたいな気がしていた。(中略)。たぶん私が学校の友だちに対して腹を立てていた反動なんだろうけど、私が変わっているからって笑うような心の狭い人なんかより、もっと大きな世界を体験したかった。子どもにしては変わってるって?もちろんそうよ。だけど、私は成長して自分のなりたいと思うものに変わっていきたいと思っていた。イマジネーションのない人にこうなれと言われたものになるんじゃなくてね。なにしろ私にはイマジネーションしかなかったから、そんなふうに生きてきた。アーティストの人生を送るのを想像することでつらい時間を切り抜けてきた。(p.307-308)

シンディは17歳で高校を退学し、家を出た。そして、ウェイトレス、絵のモデル、トップレス・バーのダンサーなど、さまざまな職に就きながら、アーティストになることを夢見て、絵の勉強と音楽活動をつづけた。

 

20歳を過ぎて、ロックバンドのヴォーカルをするなかで、喉を酷使して声が出なくなってしまい、治療とボイス・トレーニングに専念せざるを得ない時期もあった。そして、27歳で「ブルーエンジェル」というバンドでレコード・デビューするが、あまり売れずに解散。元マネージャーから訴訟を行なされ、自己破産を余儀なくした。再び、古着屋の店員や日本人向けバーでホステスなどを経験し、ソロ活動でようやく成功を掴んだのである。

 

 著書「トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝」には、生活のためにさまざまな職をやりながらも、シンディが自分の進むべき道を信じて疑わなかったことを知る、次の記述がある。

思い出すのはナイアックのクラブで踊っていた時のこと。そこの人たちは私を気に入って、ある日経営者が自分のオフィスに私を呼ぶとこう言った。「よく聞くんだ。君がクラブで 歌っているのは知っているけど、ひとつ言わせてくれ。 君はこれをやるために生まれてきたんだ。自分じゃないものになろうとすることはできないよ。君はダンスが素晴らしくて すごい才能が あるから、その得意な ことだけに 焦点を合わせるべきだ」彼の言った何もかもが正反対のことに気づかせてくれた― 私はシンガーなんだ、って」(p.84-85)

 

明菜の苦難と不屈の精神

明菜への長期インタビューをまとめた「中森明菜 心の履歴書―不器用だから、いつもひとりぼっち 」によれば、身体が弱く病気がちで寝込むことが多かった明菜は、孤独感と自己否定感を抱えて育った。

私、子どもの頃、すごく体が弱かったんです。さみしがり屋になったのはそのせいかもしれません。病気がちだからみんなに迷惑をかけているという意識を持っていたし、いつも寝ていなければならなかったから、寂しかったんです。みんなと遊べなくて。

婦人公論  March 22、1999 p.70

別のインタビューでも、病弱だった子供の頃を次のように語っている。

肩身の狭い思いして、育ってきてるから。長年のね。子供の頃からの恐怖心なんだね。邪魔者みたいな・・・私、生まれてきちゃいけなかったんだって思ってた。その思いが、どっか基本に残っているんじゃないかと思うの。

私、身体弱かったでしょう。すぐ熱を出して寝込んでばかり。お父ちゃんにも母ちゃんにも、兄妹にも、みーんなに 迷惑かけちゃってて。例えば家族みんなでプールとかに遊びに行く予定を立てたとするでしょ。でも私が具合悪くなっちゃって行けなくなる、そしたらみんなが明菜のせいでって。「また明菜が・・・」って。 私のせいで、いっつもそうだった。私だけ、いっつも家族と違ってて・・・。

中森明菜 心の履歴書 不器用だから、いつもひとりぼっち p.37

明菜が心の中に抱えていた「私さえいなかったら」 という思いは、「明菜がいてよかったと思われたい」という願望をもたらした。いつも寂しさを抱えながら、自分の存在を周囲に認められたい、大好きな母親に褒めてもらいたいという思いがあったという。そして、目立つことが好きで、10年間バレエをしていたためにステージに立つことにも慣れていた明菜は、母親が叶えることができなった歌手になることを決意する。

 

しかし、歌手にあることはけっして簡単ではなかった。アイドル歌手の登竜門であるオーディション番組『スター誕生』に、明菜は予選落ちも含めて7回も応募し、3度目の本選出場でようやく合格した。中学1年生の頃から応募を始め、3年かかった。

 

この果敢な挑戦については、著書の「「本気だよ 菜の詩17歳」で詳細に述べられている。最初の本選出場は、中学2年生の時だった。明菜はリラックスして歌うことができたが、ある審査員から「年の割にはおとなしすぎて、若々しさに欠ける」と指摘され、不合格となった。

 

負けず嫌いの明菜は、応募をやめなかった。翌年、再び本選まで勝ち上がるが、同じ審査員に今度は「顔が子供っぽいから、童謡でも歌った方がいいかしらね」を酷評されてしまう。腹が立った明菜は「スタ誕では童謡は受けつけてくれないじゃないんですか」と反論したが、会場にいた母親から「やめなさい!」と大声で言われ、再び落選となった。

 

それでもあきらめなかった明菜は、応募を続け、さらに翌年、三度目となる本選に出場し、歴代最高得点で合格となり、プロデビューの切符を掴んだのである。シンディと同様、明菜も自分の進む道を信じて疑わなかったことを知る、次の記述がある。

あの番組、全国放送でしょ。落ちるとみんなにバレちゃうから、ふつうは2回目めくらいであきらめるんだって。私って度胸がいいのかなあ。っていうより「いつか受かるよ、いつか歌手になれるよ」って信じて疑わなかったから、落ちても恥ずかしい、なんて気持ちはなかったんです。学校に行って友だちに言われても、べつに平気だったし・・・。

前掲書 p.131

ふたりの生い立ちにある苦難、そして不屈の精神。シンディと明菜の内面世界がうかがえる作品がある。楽曲「True Colors」と「SOLITUDE」のジャケット写真に注目したい。どちらも、鏡面に自分をを映している。まるで「もうひとりの自分」と対峙するかのように。

 

左:シンディ・ローパー 「True Colors」(1986)

右:中森明菜 「SOLITUDE」(1985)

 

自伝(前掲書)によれば、「True Colors」のジャケット写真にある貝殻は、潮の流れ(時の移り変わり)を象徴している。そして、シンディは、この楽曲について、「自分自身を愛し、受け入れることを学ぶということについて表現した(前掲書 p.197)」と説明している。

True Colors 公式ビデオ

 

「True Colors」は、シンディが作詞・作曲したものではない。作詞者は自分の母親のことを書き、曲中のフレーズには作詞者が母親にかけられた励ましの言葉が使われている。ただ、曲中の囁きの部分だけは、シンディ自身のアレンジによるもので、エイズで亡くなったLGBTの友人に捧げた言葉である。

 

「あなたの本当の色(true colors)を見せることを恐れないで」

ありのままのあなたを私はあなたの傍に居て尊重するという、この励ましの楽曲を表現するにあたって、「大事なのは、あなた自身が自分を愛し、受け入れることを学ぶ」というメッセージを込めているところに、シンディの人生が感じられる。それは、子ども時代に疎外感と自己不全感を抱えて育ったシンディが教訓としてきたことではないか。ミュージック・ビデオは、幻想的な世界観が表現されており、他者を愛することと同様に、自分自身と向き合い、受け入れることの大切さが語られている。

 

「SOLITUDE」のジャケット写真は、歌詞に「決められたレイルロード走っていくように」とあるから、列車の車窓ではないかと思われる。この楽曲は、アルバム収録曲の中から明菜自身で選出し、シングル化された。

 

「SOLITUDE」の意味は「孤独」。車窓に映る「もうひとりの自分」に、シンディの「True Colors」と同様、明菜の人生が感じられる。明菜へのインタービューをまとめた「中森明菜 心の履歴書 不器用だから、いつもひとりぼっち 」には、次の記述がある。

自分の顔を見てあげるのが好きなの。鏡の自分に向かって、いっぱいしゃべるわけ。アブナイって思わないでね(笑)、ちゃんと自覚しているから。ぷーってふくれてわがままをいっぱい言ったり、ほめてあげたり、子どもに戻ったり・・・。なんか安心できるんだね、鏡をみていると。・・・私、兄弟が多い中で育ったでしょ。だから誰かが面と向かって対応してくれたことがないの。それで、いつも一人で解決することが多かったから。鏡に映る自分と対話していると安心できるんだね(p。32)

これを読むと、孤独感や自己否定感を抱えて育った明菜は、誰かと親密な関係になっても、その相手に甘えることがかなり難しかったのではないかと想像してしまう。テレビ番組で「SOLITUDE」を歌う時、明菜は歌詞に描かれた都会の洗練された女性を演じ切りるが、最後に「探さないでね」と歌ったあとの、強がりと寂しさが入り混じった余韻には、まるで明菜自身が投影されているかのようである。

SOLITUDE 夜のヒットスタジオ 1985.11.27

 

シンディと明菜は、シンガーあるいは表現者としての類まれな才能を持っているが、それだけでは説明できないアーティストである。かつて、音楽プロデュ―サーの酒井政利氏は、明菜について「光と翳の濃淡の衣装をまとっている」とそのスター性を評した(追分日出子「自分を生きる人たち」P.99)が、シンディにも同じことが言える。滲み出ている翳の部分がふたりをいっそう強く輝くスターにしているのだから。

 

20世紀キュビズムの画家であるジョルジュ・ブラックの言葉に、「芸術とは傷であり、それは光となる」というものがある。芸術には、創造的な表現活動によって人生の苦難を美的価値に変容させるプロセス(昇華)があると広く知られている。シンディと明菜の素晴らしいパフォーマンスは、こうした芸術の賜物といってよいのだろう。