こんにちは、ふじおです。
今回は12月21日(土)にさん太ホールで開催された「発達障害の理解と支援のための市民講座」(主催:岡山市発達障害者支援センター)について報告します。
この講演会で、基調講演をされたのは、今年4/25付のブログで報告した石村嘉成さんのお父さんの和徳さんです。
講演タイトルは「アーティスト石村嘉成のキセキ~発達障がいのわが子と歩んで~」です。
和徳さんの話の前に嘉成さんが自分のことについて語りました。
今は亡くなってしまったお母さん、有希子さんは生前、重い自閉症の嘉成さんに対して、「一人で生きられないだろうから、人に好かれる人になってほしい」と思っていたようです。
そういえば、開演前には、嘉成さんご本人も会場に来られていて、ファンの方と写真撮影をしていて、個展や講演会では、いつも多くのファンの方々に囲まれて、今や人気画家として知名度も上がっています。
その様子を見ていると、有希子さんが望んでいたことが現実になっているなと感じます。
また嘉成さん自身、「自閉症のアーティスト石村嘉成ではなく、アーティスト石村嘉成と呼ばれたい」とおっしゃっていました。
いよいよ和徳さんの講演です。
嘉成さんは、和徳さん・有希子さんにとって待望の子どもでした。
当初は順調に成長していた嘉成さんは、2歳半の時、今までできていたことができなくなった言います。
それからいろいろな小児科にかかったり行政の窓口に相談したりしましたが、どこへ行っても「まだ小さいから様子を見ましょう」という返答ばかり。
そうした中で出会ったのが、トモニ療育センターの河島淳子先生でした。
河島先生は、岡山大学医学部を卒業し、小児科医として岡大病院にも勤めたことがあり、岡山とも縁が深い方です。
そして河島先生自身のお子さんも重度の自閉症だと言います。
河島先生は「知識ある愛、行き届いて」をモットーに「ゆとりを持って、マイペースで、子どもの能力を見極めながら、希望を持って、子どもに敬意を抱きながら、おもしろがりながら、苦しみながら、可能性を信じて、徹底的に、知識を広げ、思索し、人生観や宗教観を深めながら」療育しました。
有希子さんも河島先生の「親を教育して、良い療育者にする」という療育方針についていくと決心し、家でも、小学校でも実践していきます。
しかし、嘉成さんが小学5年生の時、有希子さんが癌に侵され、他界してしまいます。
それからは和徳さん一人の療育が始まりました。
それまで、和徳さん自身あまり療育には関わっておらず、有希子さんに任せていたそうです。
有希子さんの死後、その療育日記を読み返し、嘉成さんに向き合う日々。
有希子さんの遺志を受け継ぎ、錯誤しながら自社の経営と嘉成さんの子育て・療育をこなしていきました。
和徳さんは、自身の子育てを振り返り、
・子どもの頃はつまずいた方が良い。自分で乗り越える精神力が身に付く。
・行政の「まだ小さいから様子を見ましょう」というささやきは、障害児の親にとって悪魔のささやき。人間の脳は3歳ころから驚異的に発達するのに、待っていたら発達のチャンスを奪ってしまう。早期療育が大切。
・できないことをやらせる療育が本当の療育。
・普通の子は1,2回でできるようになることを、自閉症児は10回教える。普通の子より丁寧に子育てをしただけ。
・発達障害の特性を強みに変える。職業にその特性を活かせられれば強みになる。
・自閉症児は人に興味がないように見えるが、本当は人との接し方が判らないだけ。
なお、和徳さん・有希子さんの子育ては、現在岡山メルパ(1/3からはイオンシネマ岡山でも)上映中の「青いライオン」をご覧ください。
和徳さんの言葉から、子育てのヒントが隠されていると思います。
私もいろいろな子育てや障害者の講演会を聴きに参加しますが、それは講演の中にたくさんの気付きがあるからです。
そこで見付けた“原石”を磨いて“宝石”にし、その宝石を我が子やつな館に関わる方々にお分けするようにしています。