お葬式 | アメリカで夫を亡くしました

アメリカで夫を亡くしました

2023年4月からの記録

夫の元同僚のご主人が亡くなり、お葬式に行って来ました。

 

お葬式に参列するのは夫の葬儀以来で、しかも夫の元職場の輪の中に身を置いたのも夫の葬儀以来でした。

夫の元同僚には町で偶然会ったりということはあっても、元職場には近づかないようにしていました。夫がいないことを感じさせる場には行かないようにしていたからです。

 

友人が一緒に行ってくれたので、それほど居心地の悪い思いはしませんでしたが、夫を失うと、夫の人間関係のネットワークも失うんだなと痛感しました。まあ、当然なんですけどね。

 

これはセカンダリーロス、日本語だと二次的喪失と訳されていますか?と呼ばれています。近しい人の喪失に加えて、その人がいたからこそ成立していた交友関係や趣味などが失われることを指すのだと理解しています。

 

私の場合は、夫の仕事を手伝っていたこともあり、私の職場の同僚という知り合いがいないのです。夫の交友関係と夫の家族が私の交友関係の全てだった生活でした。

夫の仕事は、私が引き継げるものではなくて、私は人生の伴侶だけでなく仕事も失いました。

今ではグリーフサポートで出会った人や、友人のツテで仲良くなった人が少しずつですが増えてきて、その関係を大切にしています。

こうやって少しずつでも、夫のいない自分の行動範囲や交友関係を広げていければいいのかなと思っています。

 

お葬式というのはやっぱり気分が下がりますね。

夫の同僚のご主人と私の父が同じ病気で亡くなったということもあり、勝手に感情移入しちゃってるのかもしれません。私のグリーフと他人のグリーフは違うものなんですけどね。

ここの線引きは難しいと感じています。

誰もが私と同じように喪失を体験しているのではないので、私は私のグリーフに向き合っていけばいいのです。比較をする必要もないし、他の人のグリーフを自分のものとして感じる必要もないのですが、大切な人を喪った悲しみには理解を示したいという思いもあるわけで。

 

グリーフサポートでよく言われていることがあります。

「グリーフの大きさは変わらない。グリーフを抱える私たちが育っていくのです」

グリーフの大きさに押しつぶされていた私でも、いつかはそのグリーフを抱えて歩き出すことができるようになる、という意味合いです。

 

他の人のグリーフの支えになりつつ、自分のメンタルを保てるようになりたいものです。