アメリカで夫を亡くしました

アメリカで夫を亡くしました

2023年4月からの記録

高齢者介護施設で働いています。当然ながら利用者さんが亡くなるということは避けて通れません。

 

先日も、利用者さんが亡くなり、同僚の二人がそのことについて話しているのを少し離れたところで聞いていました。

 

亡くなった人は苦しみから解放されて、より良い場所(better place)にいるよね、というやりとりを聞いていて、それは私にとっての慰めにはならないなあと思いました。

 

夫は大腸がんの闘病の末に亡くなったので、手術や辛い治療から解放されたのは夫のために嬉しい。

夫に戻って来てほしくないと思っているのは、もう一度がん宣告や治療をやり直してもらいたくないからです。やりたいことが一杯あるのに、どんどんできなくなっていく、食べることが大好きだったのに、食事が苦行になっていく、そういうのをもう一度体験しなければならないんだとしたら、この世に戻って来なくていいよ、という気持ちでいます。

 

夫は天国にいるということも信じています。

天国はこの世よりもbetter placeなのは明らかなので、夫が天国でご機嫌なのは私も嬉しいのです。

 

でも同時に、夫がここにいないことはとても寂しい。夫が天国にいようが地獄にいようが、ここにいないことが痛い。だからそれが私の場合は慰めにはならないんですね。

 

もちろん、仕事上の利用者さんの死は三人称の死ですから、ご家族がどう感じているかはまた別の話ですし、肉親の死とは一括りにしては語れませんけどね。

 

I miss him.

 

グリーフってこの3語に集約されるんだと思います。仕事帰りの車の中で、何が私のこの痛みの慰めになるんだろうかと考えてて、泣きました。

どんなに忙しくしてても、触れられると痛い場所はまだまだ生傷のままな感じです。

 

私は独身が長かったので、配偶者を亡くした先輩たちが悲しむのを見ていて、亡くなって悲しめるような人と出会えて人生を歩めたことを幸せに感じればいいのに、と思っていました。

ああ、あの頃は何にも分かってなかったなあ、と今は思います。

 

慰めはどこにあるんでしょうね。きっとここにあるのでしょう。

それを感じられないだけなのかもしれません。