5月30日(火曜)に美術展を2つハシゴした後半、上野の『マティス展』へと話は移ります。
とその前に、腹が減っては戦はできぬ。燃料を入れずに途中でガス欠を起こすといけませんのでご飯にします。
パナソニック汐留美術館を出た時がちょうど昼時で、ビルから吐き出された企業戦士の皆様は近くのコーヒーチェーン店やレストラン、弁当売り場に散って行きます。
その中に混じって食事をするのは、何だか気が引けるような・・・。
スープストックTokyoでさえ、お洒落な都会女子御用達の店、と思い込んで長年入れなかったくらいなので、無理よ無理無理~と新橋駅に戻ります。
この駅前の垢ぬけなさが私に安らぎを与える
ということで、本日2度目の「新橋珈琲店」でございます(爆)
何と、モーニング摂取から2時間しか経過しておりません。
レシートをもらわなかったので、昼間に駅で、Suica利用明細を出してきました。
モーニングが450円+追加のウインナーロール160円=610円
ランチはこちらのピタパンサンド(日替わり)とピザ、カレーもメニューにありました。
ピタパン580円+アイスコーヒーの差額50円=630円
美術館の方にあった有名コーヒーチェーン店なら、コーヒー代くらいですね、新橋バンザイ!
(どうしても美術より食の説明に熱が入ります)
電車で、上野に移動
この日、朝のうちまで雨が残る予報でしたが
前日、天気の神に祈ったおかげで傘いらずでした。
ホラ、青空が広がって・・・。
映画『天気の子』では祈りに代償が伴いましたけども
毎度おなじみ、東京都美術館
予約せず、勢いで来てしまいました。
(当日チケットが買えました)
こちらも、写真撮影OKのコーナーがありました。
(つい写真に一生懸命になって、肉眼で観賞しなくなるんですよね)
先に見たルオーとマティスは、前の記事にも書いたように、同じパリ国立美術学校で、同じ師に学んでいますが、ルオーが成績優秀で先生のお気に入りだったのに対し、マティスは入学試験を落ちています(聴講生として美術学校に入った模様)。
そんな二人でしたが、両者の関係は極めて良かったようです。
50年にも及ぶ文通がそれを物語っています。
▼この本、欲しくなったんですよ!
2006年に、ルオーのアトリエからマティスの手紙が見つかり、先にあったマティス宛ルオーの手紙とあわせて往復書簡集が出版されました(日本訳版は2017年出版)。
初期のデッサン力はルオーに比べてイマイチだったかもしれないけれど(爆)、後年‟色彩の魔術師”の異名をとったマティス。
展示室では、ハッと息を吞むような輝きの作品が並びます。
▼気に入った一枚。1924「グールゴー男爵夫人の肖像」
(マリー・ローランサンも同時期に「グールゴー男爵夫人の肖像」を描いておりますが、同一人物なんでしょうか!? マリー・ローランサンの描いた夫人は少女のよう・・・(笑))
▲素晴らしい。しかし思い切った絵ですね。
モデルさんが気を悪くしなかったかと、余計なことを考える。
▲私の絵の先生がお好きな絵だそうです
▼上の油絵の前段階、構想中
1948年「赤の大きな室内」
▲誰が何といっても、これぞマティス
計算すると、79歳時の作品です。
平日なのに混んでいた
マティス 自画像
うっとりするような線です。
『マティス展』の会期は長く
8月20日まであります。
後期の入れ替え後、もう1度行こうかしら