『エゴン・シーレ展』② | 本を読んでも賢くなりません。

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ごく普通の読書ブログのつもりではじめたら、ごった煮のようになってしまいました。

目的はエゴン・シーレの展覧会にあったのですが、そのおまけ、抱き合わせにした上野の花見に思いのほか熱中してしまった前回記事でした。

自ら本編へのハードルを上げてしまった部分もあったようですが、本来絵にしろ読書にしろ感想文が不得手な性質です。

 

 

昨日いただいたコメントにお返事したように、遠足の作文で当日の朝起きてから出かけるまで、途中のバスの様子やはしゃいだ級友が先生に怒られた様子など細々記述し、肝心の現地の様子はすっ飛ばす小学生のようです。

 

 

 


▲今回展覧会の顔ともいうべき

エゴン・シーレの自画像

 

 

メインビジュアルの一つである上のポスターのほかにも、シーレは数多くの自画像を残しています。

出掛ける前に仕入れていた『芸術新潮2023年2月号』のエゴン・シーレ特集で解説している水沢勉氏(神奈川県立近代美術館館長)によれば、シーレが影響を受けたクリムトは、対照的に自画像を描いていないそうです。

 

 

クリムト本人は「自分がとりわけ興味深い人物だとはとても思えない」とその理由を説明しており、自意識をさらすようなことはしないのだといいます。

(ちなみに、展覧会にはクリムトの作品も何点か出品されています。私は特に風景画が気に入りました)

 

 

シーレはその点、真逆のタイプのようです。

 

 

山田五郎さんの動画解説の最初のほうに、シーレのナルシストっぽい写真がいくつも出てきます。

いつもポーズをとった写真は正直、(うわー・・・)と引いてしまう部分もありますが、自画像は水沢氏の言葉を借りると‟内省的”で非常にストイックな感じを受けます。

 

 

 

 

今回際どいヌードの絵は来ていませんでしたが、際どいはずの裸体画でさえ、まるで宗教画かのような静謐さをたたえているような・・・。

とはいうものの、あまり子供向けではない今展覧会に、お子様連れのお母さまがいらしてて(2組見ました)、ちょっとギョッとしました(笑)

 

 

余談ですけど、そのお子様の一人(推定8~10歳)がシーレの絵葉書をお母さまにねだっていて「これ、模写するのね?模写するんでしょ。絶対に模写するなら買ってあげる」と言われていました(「イタリアの農民」という若い男性の頭部のドローイング)。

そんな脅さなくてもなぁ、買ってあげればいいのに(ちなみに1枚200円)と思ったり、逆にその女児はどうしてその絵がそこまで気に入ったのか不思議に感じたり(笑)

 

 

なんて書いているうちに疲れてきました(小学生の作文並み。笑)。

 

 

今回撮影可能だった、風景画ゾーン。

 

 

 

▲この作品はV・E・フランクル『死と愛 新版』の表紙になっています。

『吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)』

 

 

 

 

 

『ドナウ河畔の街シュタインⅡ』

 

 

 

 

『モルダウ河畔のクルマウ』

 

 

 

 

 

絵肌が不思議で、しつこく撮りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『丘の前の家と壁』

 

 

 

 

『荷造り部屋』

 

 

第一次大戦で軍隊に召集されますが(それも結婚4日後に)前線に送られることはなく、画家としての能力に応じた仕事ができるよう捕虜収容所や兵站局で仕事をしました。

上の絵は兵站局の部屋を描くよう言われて資材を描いたもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

展覧会場で観賞1時間半、グッズ売り場で約30分。

途中で喉がカラカラになり、併設のレストランに行こうとしたものの・・・メニューの金額に「ウッ」と呻いて、覚え知ったる都美術館の穴場、自販機前にやってきました。

 

 

 

 

知らない人は知らないが、知ってる人なら知っている。

正面ロビーから右手、ちょっと引っ込んで死角のようになっているせいか、人もあまり来ず4つしかない椅子も大抵空いていて座れます。

 

 

向こうはトイレ、横には自販機。

もしご存じなければ、ご休憩に今後ご利用ください。

 

 

 

▼まともで、わかりやすい解説はこちらをどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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