ビル・エヴァンス・トリオ最後のツアー | 極楽ブログPart2

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世の中に寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿が起きて働く(「母の教へ給ひし歌」なのです)

暇なので、しつこくビル・エヴァンスを追っ掛けている。

ビル・エヴァンス・トリオは、1980年7月14日から8月15日までヨーロッパツアーを行った。スペイン、イタリア、フランス、イギリス、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、再びイタリア、西ドイツを巡る過酷なツアーであった。

その頃のビルは、すっかり健康を損なっていた。以前は、端正な髪型で黒縁の眼鏡を掛けていたが、やつれた顔を隠すために、髪と髭を伸ばし、サングラスを掛けたという。

イタリアで、ビルは、長年弾き慣れた曲を完全に忘れてしまい、まったく別のキーで演奏した。ギグの後、ビルは、共演者に向かって「こんなことは、今まで一度もなかった」と力なく言い、ショックを受けていた。

つまらない気付きをひとつ。

このビルの認知障害事件は、ドラマーのジョージ・ライター・バーベラによれば、イタリア南岸のレッジョ・カラブリアで行われたコンサートでの出来事である。

ところが。

巻末のトニーオ・ヴァンタジャート(って誰だ?)によるツアースケジュールリストには、この地名はないのである。どうなっちょるんじゃ?ま、いいか。

さて。

ツアーの後半、8月7日に開催されたノルウェーのモルデ国際ジャズ・フェスティバルに於けるビル・エヴァンス・トリオの映像が残っている。




ビルは、ピアノに向かうと別人のようにシャンとしたというが・・・


帰国して約1ヶ月後の9月15日に、ビルは吐血して帰らぬ人になった。


作曲家でジャーナリストのジーン・リースは、ビルの死を「歴史上最も時間をかけた自殺」と呼んだそうである。