このブログは、2008年1月1日に本格スタートしました。
主として以下のような観点で(何のこっちゃ)色々書き綴ります。
どうぞご贔屓に。
【嫌いなもの】
アイドル歌手
デタラメ英語
ウメボシ
日本人
【好きなもの】
まっとうな音楽
正しい日本語
おいしい料理
日本人
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吉川三国志を読了したら、少し頭を整理したくなった。
そこで、まずはこの本を読んでみることにした。
著者の駒田信二サンは、著名な中国古典研究者であるが、結構軽い読み物(例えば各種艶笑譚)も書いており、決して石頭の研究者ではない。
さて。
巻末に「三国志の大地ー跋に代えて」というあとがきがあり、このように書かれている。
なお、この小著は『後漢書』『三国志』『三国志演義』『晋書』『淮南子』『文選』『世説新語』その他を出典とする三国時代にかかわる故事・成語を表題にしたいわばエッセー集であるが、併せて、三国時代という世界を概観することができるように心掛けたものである。
エッセイと言いながら、引用した古典の白文、書き下し文、現代語訳が掲げられており、これは事実、これは創作と一刀両断、更に成語の誤用についても指摘しているので、読んでいて楽しい。
一気に読んで、ある程度頭の整理が出来たので、次は『三国志』そのものを読んでみるつもりである。
新潮文庫全10巻のカバー絵を並べておこうね。(著作権?知るか!)
諸葛孔明は、脚気だったのではないかという説がある。四輪車は車椅子だと。ホンマカイナ。
10巻の巻末に添えられた「篇外余録」が、吉川サンの誠実さを窺わせる。吉川三国志は、孔明の死を以て終わるが、底本とした三国志演義は、晋が三国を統一するまで続くので、その概要を紹介しているのだ。
ただし、吉川サンによれば、三国志演義は、孔明の死後は、はなはだ精彩を欠いていて、竜頭蛇尾の感があるという。
ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終わる二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない。
さらに孔明「については。
「いやしくも一国の宰相でありながら、夜は更けて寝ね、朝は夙に起きいで、時務軍政を見、その上、細かい人事の賞罰までにいちいち心を労い過ぎているのは、真の大器量でないし、また、蜀にも忠に似てかえって忠に非ざるものである」という彼への論評などもないではなく、後世の史家は、そのほかにもいろいろ孔明の短所をかぞえあげているが、要するに、国を憂いて痩軀を削り、その赤心も病み煩うばかり日々夜々の戦いに苦闘しつつあった古人を、後世のご苦労なしの文人や理論家が、暖衣飽食しながら是々非々論じたところで、それはことばの遊戯以外の何ものでもないのである。
ワタシ自身は、孔明が出て来るまでが、読んでいて楽しかった。なんといっても曹操がいい。冷酷非情かと思えば、情に脆いところがあり、実に魅力的なキャラクターであるが、これは吉川サンの脚色らしい。
戦いは、ワンパターンだったな。騙し合いの結果、一方が大負けし、リーダーが命からがら逃げ出すことの繰り返し。
一日千里を駆ける稀代の名馬と謳われた赤兎馬は、董卓〜呂布〜曹操〜関羽と持主が変わった。なんぼなんでも長生き過ぎる。関羽が処刑されてからは、餌を食べなくなったというが、その後の生死がはっきりしない。
そうそう。
三国志には、色っぽいシーンがほとんどない。劉備と鴻芙蓉の恋物語、董卓、呂布、貂蝉の三角関係くらいかな。
結論:三国志は、繰り返し読むべき物語である。子どもの時読みたかった。
なんやかやで、かなり日にちが開いて、久し振りの水遊び。
まずは、身体慣らしに水中ウォーキングを20分。前向き、横向き、後ろ向き、腿上げ、爪先歩き・・・
隣のレーンでは、超低速平泳ぎオジサンが、ただ1人延々と泳いでいる。
なんたって、ワタシが歩く方が速いんだからね。
オジサンは、腕で水を掻きつつガバッと顔を上げ、素早く息を吸って深く潜る。よく溺れないものだと、いつも感心する。
ウォーキング時の脈拍数は、96拍/分。ま、こんなもんか。
それから、クロール、平泳ぎ、クロール、背泳ぎ、平泳ぎと各25m泳いだが、脈拍数が120以上にならん。
かくてはならじ。
クロールで、25m飛ばしてみた(つもり)。脈拍数は、やはり120拍/分。やめたやめた。
そうそう。
超低速平泳ぎオジサンは、40分過ぎに姿が見えなくなった。まさか溺れたのではと、念の為レーンを点検したが、大丈 夫であった。
本日は、除草剤撒布の疲れが残っているので(情けない)、いい加減なところで引き揚げた。
昔書いたタワゴトが出て来た。なかなかいいことを書いているので、紹介してみようね。
ヘタウマというのがありますナ。
一見下手糞なんだけど、実は、底に恐ろしい実力を秘めているという・・・。絵の世界でよく使われるコトバなんですが、音楽の世界にも存在しますし、文学の世界にもある。あ、分かり易いのは書の世界かな。
考えてみたら、これは陰険な話です。「なんとヘタなんだ!」と嘲笑する一般大衆が、逆にヘタウマから嘲笑されているのですから。展覧会では気をつけましょう、皆さん。
確かに「ワタシャ、アホだよ~ん」と言っているオッサンが、深遠な哲学を語るというパターンは、ギリシャの昔からありました。この伝統は、いまだに生きているんですね。
ヘタウマの反対がウマヘタ。
一見上手いんだけど、実は、内容皆無、コケオドシの塊だという・・・。出来損ないの芸術関係の学校に行くと、サンプルには事欠きません。
ヘタヘタから修業は始まるのですが、では、ウマウマというのが最高か?
そうではなさそうです。
ここで言うウマ/ヘタは、単なるテクニックの話であり、テクニックを究めた先に、ヘタウマの世界があるのです。即ち、ヘタヘタ→ウマヘタ→ウマウマ→ヘタウマという図式です。
ところがですね。
このヘタウマを真似るヘタがいるんですよ。これをヘタヘタウマといいます。これは見苦しいよ。ヘタはヘタなりにヘタの世界で遊んでいなさい!
これ以外に、ウマウマを気取るヘタウマウマとか、ウマウマが過ぎてウマウマヘタとか・・・ああ面倒臭い。
実例をひとつ。
赤塚不二夫の「天才バカボン」は、恐るべきヘタウマです。