小澤征爾サンのチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を聴いて | 極楽ブログPart2

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世の中に寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿が起きて働く(「母の教へ給ひし歌」なのです)

長い間、ワタシのチャイコフスキー「悲愴」の決定盤は、ムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィルの演奏であった。

文字通り一糸乱れぬ演奏は、人間業とは思われない。特に第4楽章の弦のアインザッツの鋭さは、白眉である。




遠い昔、ワタシは、落ち込んだ時、この「悲愴」を繰り返し聴いては、気を取り直したものである。


「悲愴」を聴くのは、精神疾患患者の音楽療法としては、逆効果だという説もあるが、そんなことはなかった。


とにかく、この「悲愴」は、レコードが擦り切れるほど聴き込んでいる。


さて。


小澤征爾サンが亡くなって、彼の色んな演奏が、各種メディアで取り上げられている。


その中に、ベルリンフィルを振った「悲愴」があった。


さほど期待せず、聴いてみたら。


驚いたねえ。


これは、ムラヴィンスキーに匹敵する名演奏である。いや、音色の暖かさにおいては、上かも知れない。


ムラヴィンスキーの演奏指導は、非常に厳しく、楽員たちはピリピリしていたそうな。レニングラードフィルの音色が、時に冷たくに感じられるのは、そのせいか。


小澤征爾サンの指揮は、音楽をする喜びが溢れている。ベルリンフィルメンバーも小沢魔術に乗せられている。




小澤征爾サンの「悲愴」は、カラヤン追悼コンサートのもので、カラヤンの演奏が再現されたという評もあったようだが、それは違うな。


カラヤンは、帝王であり、オーケストラを統治する。カラヤンの「悲愴」は、つまらなかった。


小澤征爾サンは、オーケストラをキャリーするのである。それが、伝説になってしまった。


さようなら、小澤征爾サン。