先週、祥平さんからメッセージが。
「地球暦、行方不明になっちゃった。春分までにでてこなくて。今、持ってる?」
で、どこで受け渡せるか・・・と相談してて「8日に吉野に来る?」ってことに。祥平さんがお祭りに参加するから、そこで会えないか・・・と。
吉野かぁ。
今回は吉野ではなく、どうしても談山神社に行きたくて、8日はそこに行くことにしました。
9日は、祥平さんが、大神神社に行くから、そこで出会おうということになったのです。
大神神社も、とても行きたいと思ったので、最終的に祥平さんのおうちに泊まっちゃう?ってことになりました。なんと、静岡から、まぁちゃんも来るってことになったから、2月11日以来、再会だぁと楽しみにしていました。
私はいつも、次男坊のあっくんと行動するのですが、今回は長男のスポ少の練習もお休みだったので、長男も一緒に行くことに。
あ~、この子たちと談山神社に一緒に行くことが大事なんだと思いました。
そして、近江神宮のお札をかばんに入れて、いざ、談山神社へ。
お山を登り、談らい(かたらい)の場へー。
近江神宮のお札を地において、「近江から参りました。」とご挨拶しました。
ずっと、そこにいたい。そんな風に感じました。
山をおりながら下をみると門はしまっていて、本日のお参りはおしまいに。一組のお客さんが、「せっかく来たけどな~」っていう感じで見ておられたのです。後から聞いたらそれは、まぁちゃんたちだった!
それからしばらくして、まぁちゃんから連絡があって、祥平さんはまだ吉野だから、先に桜井で晩御飯を食べていようってことになったんです。
合流して、ご飯を食べていたら祥平さんから連絡がー。
「吉野に泊まることにしたから、知り合いに言うからおうち開けてもらってね」って。
へぇぇぇぇ~!吉野に泊まるの~?!
私は、まぁ明日、大神神社で会えるだろうし、会えなくても地球暦を届けることができたらミッション完了なので、家に置いておいてもいいしなぁと思ってたんです。
まぁちゃんと、お友達は吉野に行くことになりました。
私と、息子たちは主のいないおうちに泊まらせてもらうことに(笑)
そして、おうちを開けに来てくださった方に、この度(この旅)なぜ、奈良に来たのかを話したんです。祥平さんに地球暦を届けに来たんだってことを。
そしたら!そしたら!衝撃(笑劇)の事実が!
なんと!その方のおうちに、祥平さんの地球暦がある。
祥平さん、地球暦を広げて、懸命に話して、そして、そのまま置いたまんま。忘れてたみたい。
行方不明ちゃうやん。目と鼻の先にあったやん。
結局、9日の朝に桜井に帰ってこなかったので、私は祥平さんと会わずに奈良を発ちました(笑)
地球暦を届けるために今回の奈良行きを決めたのに、私がしたのは、談山神社と、等彌神社と、大神神社にご挨拶に行ったこと。
「なくした」ことになってて、だから私届けにいったんだけど、なくなってなかった。
このタイミングで奈良に行くこと自体が、私のミッションだったようです。
祥平さんには結局会ってないから、ほんとに今回はお膳立てだったみたい(笑)
29日には、近江神宮で天智天皇のお話があります。
大津京遷都1350年を祝して。
私は、その前に、談山神社に行かなきゃならなかったみたい。
2人の息子が、たくましく山を登る様をみて、この子たちも、一緒にトキをむすんでくれてるんだと思った。
歴史のこと。神話のこと。神様のこと。
私は、詳しく知っているわけではないけど、動かしてくださる大きな力があると思う。それが私の「させていただくべきこと」だし、カラダをもって、今、生きて、トキを超えてムからチにうみだし、かたちにしていくことだと思う。ツクリカタメル。
そしてまた、詳しく色んなことは分からなくてもいいと思う。私は今、天智天皇、近江神宮、琵琶湖にフォーカスしてるから、そこから紐解かれることを感じて繋がっていれば、私のお役目は十分だろうと。
一人では、それだけ。でも、
悠久の月日のなかのいま。
共に結び合うタマとタマ。
あぁ・・・。57度の旅路は、ここに降り立ちました。
計らいは、おもしろすぎました。
談山神社
等彌神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E5%BD%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE
大神神社