GWに、神奈川県のあれやこれやを巡ってみたいと思い立ち、取り敢えず、江ノ電沿線を歩いてみたわけですわ。
というわけで、前回は藤沢編でしたが、今回は鎌倉編。(かなり長い)
七里ヶ浜と言えば、
この、すんごい人。
ここは図らずも、「スラムダンクの踏切」と呼ばれ、8年前から、東アジア圏の外国人の間で「聖地」となっている。
スラムダンクの映画が公開された事で訪問者は更に急増し今に至るとの事。
車道と踏切にこの人だかり。そりゃ、警備員も配置される。
外国人観光客の人達は、このアングルで、江ノ電が来るのを、今か今かと待つ。
あの「スラムダンクの図」を撮る為に。
私も、混ぜて頂き、その瞬間を待つ事に。
1000形!
惜しい!
図と同じの300形が理想だったんだけど、まあ、1000形でも全然OK!
500形と2000形は形状が少し違うし、20形は模様が入ってアレンジされている。高級感ある10形ともなるとデザインが全く別物。
最善が300形、次善が1000形というところやったが、次善を引き当てた。
つーわけで、上の写真に少し処理を施し完成させたのが、
(※ABEMAアニメ「スラムダンク」より拝借)
肝心の踏切警報器が入ってない?
ガードレールもない?
水平線が電車の中心にきてない?
海が太陽に照らされてない?
て言うか、外国人観光客を差し置いて撮るとかキモい?
いや、差し置いてねーわ!!
江ノ電「鎌倉高校前」駅。
見ての通り、ホームは人でぎっしり。
江ノ電は単線なので本数を多くはできないし、4両編成が限界。詰め掛ける観光客と通学の学生を抱えるにはパンク状態といった感じ。
でも、時間に追われている乗客は利用するしかないというのが実情。
ま、混雑解消という課題が付きまとうわけやね。
自分の旅は、基本、時間に追われない気ままなやつなんで、
こうやって海でも眺めながら、
江ノ電に沿って歩いてりゃいいわけですわ。
ここは七里ガ浜高校。
個人的には、七里ガ浜高校の坂の上からの、この光景が好きなんだよね。
高校の体育館、坂道、江ノ電、海、空。
青春の構図そのものじゃん。映画「ピンポン」にも、確か使われた風景。
ここにも、3人だけ外国人観光客がいた。自分と気が合いそう。
で、こっからは、
カーブを攻める1000形。
気品と高級感溢れる10形。
遂に来た!
このように、線路と車道の間にガードレールのない区間も存在。
この車両は2000形。正面ガラスが大きいのが特徴。
で、景観だけで言えば、ガードレールがない方がそりゃ、スタイリッシュよ。
レトロな20形を上から撮影。
多分、この極楽寺駅の高架橋が、江ノ電を間近で見下ろせる唯一のポイント。
従って、この橋には撮り鉄が絶える事がない。
自分の他にも、数人が狙ってた。
ただの素人。
一応、言っとくけど。
そして遂に目的の長谷駅に到着。
「鎌倉の大仏」の最寄り駅。
というわけで、この長谷駅から鎌倉の大仏まで歩く事に。
やはり、GWとあって、凄い人。
目立ったのが、外国人観光客の人達。
アジア、欧州、北米、南米、オセアニア、要は世界各地から観光客が来ているのが見て取れた。インバウンド需要は、完全にコロナ前の水準に戻った事を知った。
そして、大仏方面へ行く車が渋滞で進まず。
そりゃそや。
それ程駐車場がない所に、多くの車が詰め掛ければ、そりゃフリーズする。
長谷駅から大仏までの道には、
土産物屋や、
多くの飲食店·屋台が軒を連ねる。
自分も、湘南·鎌倉辺りの名物らしい「生しらす丼」というのがどうしても食べたくて、この店に入った。
他の店は「釜揚げしらす丼」しかなく、しかも、物凄く待たなければならないのに対し、この店は、すぐに入れて生しらす丼も出してくれると来る。
そして、食べたら、お世辞抜きで、めちゃ美味かった。
生しらす丼とはこれ程のものかと感動した。さすが、テレビで良く取り上げられるだけはあると思った。
1500円という値段も相場的に妥当だろう。
この店は、当たりやった。
ただ、この辺りの飲食店はどこもキャパが狭いのが特徴。この店にすんなり入れたのは、運が良かったから。
そして、いよいよ、
鎌倉の大仏様と、念願の対面。
おっ!枝葉の間から見えるのは!
出た!!
これよ、これ。
神奈川旅行一番の目的は、これを見たかったから。
この巨大さ。
言わずと知れた、鎌倉時代から原型を完全に留めている国宝·銅造阿弥陀如来坐像。鎌倉の大仏。
それが屋外に鎮座し、360度のアングルで見る事ができる。
鎌倉の大仏は、奈良の大仏と違って、いつ、誰によって、どのような経緯で造られたのか正確な記録がない。
分かってるのは、鎌倉時代に造られたという事だけ。鎌倉幕府が建立に関わったかどうかも分かっていない。
でも、そういう謎に満ちた大仏が、風雨にさらされながら鎌倉時代から残っているというのがいい。
入場料50円で、大仏の中にまで入れてしまう。
大仏の首の付け根。
背中の窓。そりゃ、換気も必要だ。
鋳造時は、中土と中型というのを除去するのに必要だった。
これだけの人が見学できる広さではあるんだよね。
一応30人まではOKとの事。
材質は青銅。
狭いながらも、説明書きがある。でも読めない。
てか、「鋳繰り」なんて、相当マニアックよ。
まず、大仏の基本的な鋳造工程から入らないと。
因みに、鎌倉の大仏の位置付けは「高徳院の本尊」。
本尊である大仏様が、本堂という建物なしに、剥き出しになってるわけさ。
つーわけで、
目指すは、言うまでもなく「鶴岡八幡宮」。鎌倉時代の政治の中枢だった場所。
到着した鎌倉市中心部。
そこを走るのは若宮大路。
源頼朝が街づくりの為に整備した大通が、現代も息づいているわけ。鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで真っ直ぐ伸びる市の中心軸。
鎌倉の市街地はと言うと、やはり都会。
人口こそ県内11位の177,000人だが、観光都市としてとてつもない集客力を誇っているのは言うまでもない。とにかく、中心部の整備の進み具合がハンパなく、世界中からの多くの観光客を受け入れるのに相応しい都市景観になっている。
若宮大路を鶴岡八幡宮方向に行くと、
見えて来たのが鳥居。
鳥居は若宮大路の真ん中にあり、ここからは、歩道が整備されている。
歩道は鶴岡八幡宮まで続いてんだけど、
かなり長い。
街と神社が一体化した整備で言えば、伊勢神宮以上かも知れない。
そして、到着。鶴岡八幡宮。
神社には、○○神宮、○○大社、○○八幡宮、○○天満宮、○○神社という呼び方があるが、これは祭神の違い。神社のランクの事ではない。現在の神社は、伊勢神宮を除いて全て同格。事実上、伊勢神宮を本宗として、全ての神社が横繋がりという形。
因みに、八幡宮とは「八幡神」を祭っている神社の事。
源頼朝が、なぜ鎌倉を選んだのかと言うと、自分の先祖が、源氏の氏神「八幡神」を祭るこの神社をこの場所に作っていたから。その氏神を精神的な拠り所とし、ここを拠点にして平家を倒し、武家社会をつくり、鎌倉の街をつくり、この神社を鶴岡八幡宮として整備したという一連のマインド?
社殿は江戸時代から現代に建てられたもので、鎌倉幕府の面影はもうないけど、確かにここが、150年続いた鎌倉幕府の中心だったわけ。鎌倉時代って短命ってイメージあるけど、明治維新から現在ぐらいの期間だから、結構長いよん。
何と言っても、この本宮への階段が鶴岡八幡宮の特徴。
本宮(上宮)。重要文化財。江戸時代に再建されたもの。
本宮から望む景色。
本宮と舞殿(右)の、いい感じの構図。
やはり神社。伊勢神宮程ではないが、結構大きめの杉が。
敷地内には、オシャレなミュージアム。
で、鶴岡八幡宮にも、伊勢神宮のような横丁がある。
居並ぶ多くの店。
道行く多くの人々。
この賑わい。
これについては、伊勢神宮の横丁に負けてなかった。
だって、鎌倉駅前商店街とも被ってるからね。
鶴岡八幡宮の観光客と駅利用の買い物客を同時に呼び込めるわけ。
やっぱり、駅が近いというのは強みやね。しかも、鶴岡八幡宮の場合、首都圏という絶大なアドバンテージがある。インバウンドでは伊勢神宮を上回るわけさ。
ところで、
調べたら、元々は鎌倉らしいけど、関東大震災で鎌倉の工場が壊滅的被害に遭い、既にあった名古屋の工場に拠点を移したとの事。
知らなかった。
つーわけで、「まー1本、まー1本と!・・・」のCMでお馴染みのKウインナーが食べたくなってきた。東海地方の大人やったら誰でも知ってると思う。CMのあの方も、良く考えたら名古屋弁で喋ってたし。詳しくはYouTubeで。