やばい。



停電です。



なぜかパソコンは付いてるけど、



もうすぐパワーが落ちるそうです。



だから



やめなきゃいけないそうです。
「西日が、

 西日が眩しいので

 カーテンを閉めてもらえますか」



これが、最後に私が喋ったと

記憶している言葉だ。



先生は

そんなことすぐに関係なくなるよ。

と、顔を一瞬したが、

すぐにそこに、優しさの笑みを

顔一杯に広げ、

カーテンを閉めようとしてくれた。

しかし、

カーテンは、レールが引っかかって

なかなか閉まらない。

何度も閉めようと、その先生は

試みるが、引っかかって

閉まらない。

そのうち、諦めて



「大丈夫だよ」



そんな顔をし、私を見た。



あー、眩しいよ。

閉めてよ。



私は少し非難の表情を

浮かべた。





それにしても、





いつ始まるんだろうか?





いつ始まるの?













天井が見える。



いつ始まるんだろうか?



天井を見ている。



いつ始まるの?



天井は白かった。



部屋の天井を見ていた。





?っ





何かが違う。

さっきの西日の眩しい部屋ではない。

違う部屋だ。



私はのどの渇きを覚える。

のどが渇いた。

水が飲みたい。



そういえば、水も食べ物も

食べちゃいけないって、言ってたな。

そうだ、

先生が言っていた。

霞の向こうのような、

仄かな映像。



部屋のドアが開く。

人が入ってくる。



白衣を着ている。

看護婦だ。

アフリカでも、看護婦の白衣は

同じなんだな。

と、ぼんやり考えるが、

すぐに

はっと我に返る。



それで私は、全てを把握した。



もう、全て終わっていたのだ。

私の手術は全て終わったのだ。

あの後、全身麻酔を打たれたので、

記憶がないだけなのだ。



そう、

私は入院をして、手術をしていた。

どこでだって?

それは、

ここマラウイでだ。



マラウイのムズズという町で、

入院していた。

タンザニアから、カロンガという

国境近い街に行き、

そこから、ムズズへ向かった。

そこでついに

私の体は、悲鳴を上げた。



ムズズに着いたら、

私は3日間寝ていた。

ただ寝ていた。

その間、食事も食べられなかった。

いや、正確には食べられないのではない。

空腹ではあったが、

それをも上回る苦痛に、

食べることさえ、億劫になっていたのだ。

でも、私は大丈夫だと

考えていた。



それは、



寝れば直る。



その法則は間違わない。

そう信じていたのだ。

でも、日に日に病状は悪化した。



その3日間のあいだ、

宿のおばさん軍団は、、

病院に行きなさい。

と、一日5回ぐらい

私に言った。

黒人のおばさん軍団だ。

わざわざ部屋に来て、

言いに来た。

私は、

大丈夫。

とその度に言った。



でも、大丈夫じゃなかった。



4日目。

宿のお母さんに、

タクシーを呼んでもらった。

病院に行くのだ。

ついに決断した。



病院に着くと、そこは

大きな病院だった。

私の想像では、もっと小さな

クリニック的な病院を、

考えていたのだが、

大きくその考えは、

覆された。

そこでは、大きな病院ならではの

雰囲気を持っている。

それは、

たくさんの人が待っている。

ということだ。

だから

待合室で、待つのがつらい。

だから、



もう帰ろうかな。



寝れば直るはずだ。

と、ここでも考えていた。

その時、

隣の鼻の皺が深い黒い顔したおじさんが、



君は次に診てもらいなさい。



と、私に言ってきて、

周りの人たちに、

それでいいだろう。

といっている。

私はその言葉に素直に従った。



診察室。

その先生は、

「今日の3時にオペをするから、

 今から食べ物を食べちゃいけない」

と私に言った。

まだ若い先生だ。35ぐらいだろうか。

その表情は、知的で、物事の善悪を

全て知っている。

といった印象を受ける。

私はその時、のどの渇きを覚えていた。

水が飲みたい。

「水も飲んではいけませんか?」と私が言う。

「水も飲んではいけない」

とドクターは言った。

私は諦め顔で、

わかりました。

といった。





私は「水は飲めますか?」

と看護婦さんに、聞いた。

その看護婦さんは、

したり顔で、

「ちょっと待って」

と言い、ポットを持ってきた。

そして、

コップに水を注ぎ、

私に渡してくれた。



冷たい水だった。

火照った体の中を、

冷たい水が体の中から、私の体を冷やす。

私はコップに2杯の水を飲んだ。

再びベッドへ、看護婦さんに寝かせてもらい、

ぼんやりと見ていた。

そこには、



白い天井のカオが

私を見つめていた。
タンザニアのムベヤは、

朝の6時に出た。

2時間ほどで、ボーダー近くの町へ。

そこからチャリタクで、

ボーダーへ。

のどかなイミグレを無事通過。

ミニバス(もうマタトゥとは言わない)に

乗り、カロンガへ。



カロンガでは、なぜか2泊。

それは、体調が悪かったから。



ミニバスで4時間。

ムズズという街へ。

ここでは、ついに入院。



退院して、宿の人から歓迎を受けて、

次の日、移動。



ミニバスで1時間、

ンカタベイという、マラウイ湖湖畔の町。

ここでは、退院後の療養を兼ねて、

5泊し、

体力の回復を待った。

毎日マラウイ湖をまったり見ながら、

何もしなかった。

朝から、夢の中にいるような、

生活を送った。

宿の奴らもフレンドリーであった。

バウバウの木の下で

やるところから、

始まった、

バウゲームというのを

教わった。

でも、朝から夢の中だったので、

よく分からなかった。



ンカタベイを後にし、

ドワングワという街へ行き、

一泊して、首都

リロングウエイへ。



首都としては、小さな街。

でも、大きなスーパーもあり、

毎日ビールを飲んでいた。



そういえば、マラウイでは

ビールをリロングウエイでしか

飲んでいなかった。



体調も良くなってビールを

美味しく飲めるようになったのだ。



リロングウエイに着いて

気がついたことがあった。

それは、

タンザニアとマラウイに

時差があったってことなのだ。

今は、

アフリカを縦に降りているので、

時差はないものと思ってきた。

実際、

トルコから、タンザニアまで

時差はなかった。



でも、ここでは一時間時差があったのだ。



何かおかしいと思っていた。



入院していた時、昼飯 晩飯と

ちょっと遅いんじゃないか。

と、思っていたが

そうではなかったのだ。

自分の時計のほうが狂っていたのだ。



マラウイにきて、2週間は経っていた。

そこでやっと気がついたのだ。



ところで、気になる入院費ですが、

自分は、個室を選んだ。

タイで入院した時、大部屋はつらかったので、

個室があるなら個室にして欲しい。

として、個室にしてもらった。

一泊、3食、10時と4時に紅茶とケーキ

が出て、3000クワチャ。(約3000円)

部屋は、日本の病室と変わらないくらい

きれいで、トイレとシャワー、

バスタブまでついていた。

静かなところで、

良いところだった。



食事も美味しかった。

昼食、夕食はメニューも選べた。

いつも暖かな食事で満足した。

タイの病院は、

これを食べるほうが、

病気になるんじゃないか。

っていうご飯だったので、

大変良い。

ちなみに、タイのおかゆは

必ずパクチーが入っています。



体が弱っている時の、パクチー

は辛いです。

パクチーは全然食べれると思っていましたが、

本当は嫌いってことが、

この時分かりました。



話がずれましたね。



リロングウェイから、

ルサカへは、ダイレクトバスを使いました。

本来は、ダイレクトバスより、

いったんボーダーへ行き、

そこから、バスを探すほうが

好きなんですが、

やっぱり、ダイレクトバスのほうが、

楽なんで、こっとを選んじゃった。

ってこと。



ボーダーを越えて、次の国へ入った瞬間

なにか新たな気持ちになるんで、

その瞬間は大好きです。



せっかく覚えたその国の言葉、物価、文化が

リセットされて、また新たなそれらが

待っているわけです。



素敵ですね。



そして、まずはそんな不安交じりの中

近くの町を目指すわけです。



素敵ですね。



でも、ダイレクトバスよりは

パワーを使います。



だから、今回はダイレクトバスを

選んだわけです。



そして、ザンビアの首都、

ルサカへ到着です。





ナイロビでせっかくipod用の

スピーカーを買ったので、

写真を載せます。