ザーーーー

ザーーーー



水の流れる音。



水しぶきが、橋の中ほどから

虹を作っている。



僕は足早に、橋の中ほどへ向かった。

虹の出ているそこへ。



しかし、僕はその場所へ着くと

虹ではなく、

そこから見える

滝に目が奪われた。



滝だ。



水量の多い、雄大な滝。



そこには滝があったのだ。



滝が、

水しぶきを作り、

水しぶきが、

虹を作り、

僕をここへ導いたのだ。



僕は、滝をただ眺めていた。



しばらくそこに佇んだ。

そして、タンザニアのイミグレへと向かった。





ルワンダの首都、

キガリを出たのは、10月6日。

タンザニアとの国境、

ルスモに行く。

ここで一泊し、

次の日、タンザニアへ。

ルワンダ、タンザニアは川が国境

らしく、

ルワンダのイミグレを越えると、

橋があり、川が流れ、滝があった。

立派な滝であった。



ルスモからカハマという街へ。

その日はカハマで一泊。



カハマからタボラへ。

タボラでは、ちょっとした

事件があった。

高島政信だったら、

「姉さん、事件です」

というに、

間違いない。

という事件があった。



朝8時。

ノックをする音。

ドアを開けると、男たちが

3人立っていた。

パスポートを見せて欲しいという。

君たちは誰だ。

僕は言った。

彼らは、身分証明書を出してきた。

イミグレの職員らしい。

彼らは、私のパスポートを見て

今まで僕が行った国の目的は何だ。

と尋ねた。

僕は「観光だよ」

と答える。

彼らは、スワヒリ語でなにか相談している。

出た結論は、

「それはおかしい」

であった。

彼らの言い分は、

パキスタン、イラン、トルコ、シリア、

レバノン、ヨルダン、エジプト、スーダン

とイスラム教の国に、こんなに行っているのは

テロリスト以外の何者ではない。

ということであった。

「君は我々のオフィスに来なければならない」

と、彼らは言った。

私は「それは出来ない」

といった。

今日、ドドマへ旅立とうと思っていたので、

それは出来ないのだ。



しかし、

結論から言うと、行きました。

行かざる得なかった。

といったところ。

出発は一日延ばし、

最終的には、所長に無実を

訴えイミグレを後にしました。



ドドマへ行き、

そして、モシという街へ。

モシは、キリマンジャロへ登る拠点の町。

僕は、キリマンジャロへ登るか

悩みましたが、やめました。

理由はいろいろあります。

料金は700ドル前後。

どの旅行会社も、最終的には

ほぼ同じ金額になりました。

ちょっと高い。

あとは、体調もよくなかったことも

あります。



モシから首都のダル エル サラームへ。

ここには一泊ですぐ出て、

マラウイとの国境に程近い街、

ムベヤへ。



ここも一泊。

次の日は、マラウイです。

タンザニア最後の日に、

「キリマンジャロ」

っていうビールを飲み、

満足しました。



マタトゥに乗り、ボーダーへ

ついにマラウィ入国。

マラウイはビザ代タダと

いい国だ。



マラウイはどんな国だろうと、

心が躍る。
ラジオには雑音が混じる。



ザー ザー  ロセ



ザー コロセ



殺せ!!



ツチを抹殺せよ



皆殺しにしろ



コロセ。





1994年4月6日、

穏健派のハバャリマナ大統領を、

乗せた飛行機が、キガリ近郊で

謎の墜落をした。

これを合図に当時支配層にあった、

フツ族のツチ族に対する

虐殺が始まる。



ラジオから流れ来た

「ツチを抹殺しろ」

という一言は、人々を煽り、

3ヶ月で、50万人以上が大量虐殺された。

難民の多くは、当時のザイールに

流れ込み、日本の自衛隊も救援活動を

したのは、記憶にまだ新しい。



ムランビには、虐殺記念館がある。

首都のキガリから南に80キロ、そこから

西に10キロ。

元学校の校舎には、

何百、何千のミイラがある。

ルワンダ難民って言葉も、多くの人が

聞いたことがあるだろう。

ここムランビでも、多くの虐殺があったのだ。



そこでは、多くのミイラは苦悶の表情が

そのままであった。

虐殺が昨日あったって言ってもおかしくない、

苦悶の表情。

腕や足が本来人間として、曲がらない方向に

曲がっているものが多数いた。

頭が割れているなんて、当たり前って部屋もあった。

子供だけの部屋もあった。

どうして、こんなになっちゃんったんだろう。

っていう、苦悶の表情がそこにはあった。



それとは別に、ムランビって村は何の変哲のない

なにもない平和な村だ。

いや、今のルワンダそのものが、平和なかんじだ。

かつて、そんな虐殺があったなんて考えられない。

今のルワンダを見る限り想像できない。

むしろ、

ムランビにいってから、逆にそれが違和感に感じるほど。

平和って何か?

って誰かに聞きたいくらい。

の平和があった。

違和感の中の平和が。



ウガンダの首都 カンパラは朝に出た。

夕方には、ルワンダとのボーダーの町、

カバレに到着。その日はそこで一泊。

次の日、ルワンダの首都 キガリへ。

マタトゥ(乗り合いタクシー)でいく。

すぐにブタレ行きのバスを探す。バスで2時間。

その日はブタレで一泊。

次に日、ブタレからキコンゴロへ。マタトゥで30分。

そして、歩いてムランビという村へ。歩いて30分。



ここルワンダは、違和感を感じる。

それを言葉にするのは難しい。

第3世界を旅したことのある人なら、

感じるのかもしれない。



例えるならば、

吉田って人が、偽名を使おうとして、

吉岡って名乗っちゃった、

みたいな。



例えるならば、

ガンダムのプラモデルで、ジムを一度組み立てて、

ばらして、もう一度組み立てたら、ガンダムに

なっていた、みたいな。



例えるならば、

「君は実はEXILEのファンなんだね」

みたいな。



これはなんなんだ、って感じで、違和感を感じる。



ルワンダは、ウガンダ同様、緑にあふれ、台地豊かな地

って感じ。それはいい。



街並みは、凄くきれいだ。そして新しい。

全てが新しい。

道も舗装されていて、車も走りやすそうだ。

そして新しい。



英語は通じない。フランス語だ。

でも、英語の通じないところなんて、いままで

たくさんあったから、それだけでは違和感を

感じるわけではない。



では、何なのだ。



ODA。

なんでしょうか。



各国の支援が、この国にあった全てを壊し、

もう一度作り直しちゃった。

みたいな。

そんな感じだ。



これを言葉にするのは難しいので、

一度、皆さんもルワンダへ来ては

どうだろうか。



物価は少し高いけど、ビールはそれほどでもないです。





写真は、ムランビの虐殺記念館。

建物の中に、ミイラがいます。



私の息子は死んで木になった。

っていうのが、

印象的です。
 アフリカの風は思いのほか冷たい。

もし、目隠しをされていきなりここへつれてこられたら、

ここが赤道直下のウガンダってことを誰も想像できないであろう。

 私はそんな肌寒いなかでも、ビールを飲む。

寒くても、暑くても。

 風がぴたりと止まる。

路上に置かれた粗末なイスとテーブル。そこにひとり腰掛けて、

ビールを待つ。注文したビールは

「ナイルスペシャル」

というビール。

風が止んだことがまるで合図かのように、一人の男がビールを

持ってくる。無愛想に何も言わず「ドンッ」と置いて立ち去った。

 私はビール瓶を手に取った。グラスに注いだ時、瓶の口が震えた。

グラスの口が触れ合い、カタカタ音をたてた。

私はビールをすすった。

いつもと違う味。

まったく違う何かを飲んだ気分だった。

そのビールは酸味を少し残したまま、腹の底に沈んでいった。

再びグラスに口をつける。

グラスは空になった。

手の震えはアルコール依存症からではない。それを証明するように

今度は、瓶ごと直接口につけて、一気に飲み干す。それでも震えは

止まらない。

 いつから手が震えていただろうか。初めて人に指摘されたのは、

イランのテヘランだ。それまでは自覚すらなかった。

いつからだろうか。

きのうも同じことを考えていた。

 ナイル川に関する話をしようと思う。わずか2ヶ月ほどであるが、

ナイル川は多くのものを私に残した。良くも悪くも。

そして、今日全てが終わったのだ。

全てを流してきた。

 私にとってナイル川最期の地は、ウガンダであった。

ここ、ウガンダの首都カンパラから、東に78キロ、ウガンダ第2

の都市であるジンジャという街へ、今日行った。

そして、ジンジャから北に7キロ、ブドゥウンドゥという村には、

白ナイルの源流の滝がある。ブジガリの滝という。

「これで最後だ」

独り言をいいながら、空になったナイルスペシャルを指差し、

もう一本くれと、無愛想な男に合図をする。無愛想な男は

態度とは裏腹に、機敏な行動でもう一本のナイルスペシャルを

取りに行く。

 私は世界一広い場所で、世界一狭い場所から抜け出すことが

出来たのだ。他人の入る余地のない、人を寄せ付けない場所。

今なら、ぴったりとピントを合わすことの出来る場所。



ナイル川との最初の出会いは、カイロである。







つづく・・・