ありがとう~名市交3000形(VoL.1) | T-HOUSE Diary

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車と鉄道とカメラが好きなオヤジのブログです

先日3114Hが運用を離脱しました。
1977年に開通した地下鉄鶴舞線の開業時から走り続けてきた名市交3000形ですが、最後まで残っていた3114Hの引退により、46年の歴史にピリオドを打つ事となります。
今回は私が今まで撮影してきた写真を紹介しつつ、歴史を振り返ってみたいと思います。

冒頭にも書きましたが地下鉄鶴舞線の開業は1977年3月で、伏見~八事間が開通しました。
当時私は小学校低学年でカメラも所有していなかったため当然写真はありません。
初めて自分が撮影したのは小学5年生の1979年7月下旬
赤池駅で撮影した3105Hでした。



そして同年7月29日に名鉄豊田線が開通し、地下鉄鶴舞線との相互乗り入れが始まりました。
しかしその日は法事があったため帰宅後の夕方にしか出撃できませんでした。
当時持っていたのはボロいコンパクトカメラで、夕刻という事で不鮮明な写真しか撮れませんでした。
そんな中、ネガには当時の3000形が残っていました。
まず3107H



続いて3105H
右側に写っているのはE40系スプリンター
時代を感じます。



1981年11月には鶴舞線は延伸され伏見~浄心が開通
ネガの劣化が酷いですが、終点の浄心駅で撮影した3000形3次車の3116H
新車のため足回りが綺麗でした。



1984年9月には浄心~庄内緑地公園が開通
写真はこの延伸のために増備された4次車の3121H
納入されたばかりでピカピカでした。




1987年10月に運転された東海クラッシック臨(3109H)
三好カントリーへの観客輸送列車で、最寄り駅である黒笹行きとして仕立てられました。



黒笹駅では渡り線を使い、折り返して庄内緑地公園行きとなりました。



1988年に1浪して大学に合格
4年間地元を離れるため豊田線で色々撮影してたようです。
写真は3104Hと3106H
いずれもこの後に行われる6連化で中間車化改造された車両。




1993年に庄内緑地公園~上小田井が開通
この結果名鉄犬山線~地下鉄鶴舞線~名鉄豊田線の3線の相互乗入れが実現しました。
また車両はこの時に6連化されました。



2002年に撮影した3102H
市営交通80周年の記念ステッカーが付きました。



2004年頃から電動車に2基付いていたパンタグラフを1基撤去する改造が始まりました。
特に先頭車は特徴的な前パン姿からガラッとイメージが変わりました。
(写真はパンタグラフを撤去された3101H)



2004年11月撮影の3111H
2005年開催の愛知万博のステッカーが付きました。



2009年撮影の3116H
相互乗入れ30周年のステッカーが付きました。



2011年の11月に新型車両のN3000形が運用開始され、
その影響で2012年には3000形初の廃車(3102H)が出ました。



その後N3000形が納入される毎に徐々に3000形は引退していきました。
次回(VoL.2)は晩年に撮影した写真を中心に語りたいと思います。