回顧録~1987年10月(浪人中に鉄分補給6~愛環100系甲種輸送) | T-HOUSE Diary

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今回紹介する写真は1987年10月
愛知環状鉄道100系電車の甲種輸送です。
翌年1月31日にJR岡多線を引き継ぐ形で愛環が開業しましたが、
それに先がけ10月15日に日本車輛から北野桝塚駅まで輸送されました。
 
まずは岡多線の起点である岡崎駅から
駅名標には東海道本線と岡多線が併記されていました。
 
 
ホームには岡多線の165系が停車中
こいつに乗って北野桝塚へ向かいました。
 
 
北野桝塚駅に着きしばらくすると甲種輸送が到着
2連×4本の8両で、牽引機はEF65_31でした。
 
 
ホームには多くのギャラリーに加え
地元テレビ局も取材に来てました。
 
 
まず前より4両が切り離され車両基地へ向かいました。
 
 
残された後ろの4両
幕が「修学旅行」なのはご愛敬。
 
 
先ほどのEF65が戻ってきて後ろ4両と連結
 
 
同じように車両基地へ入っていきました。
 
 
しばらくしてEF65が2両のヨ8000を従え帰っていきました。
 
 
撮影後は岡多線の電車に乗り終点の新豊田駅へ
日常の岡多線らしく、ホームは閑散としてました。
 
 
この後の行動は全く記憶にありませんが、
この後のフィルムには知立での駅撮りが写ってました。
おそらく名鉄豊田市駅から三河線で知立に向かったようです。
 
 
当時の三河線は3700系・3730系のオンパレード
懐かしい三河線経由の吉良吉田行き
今は亡き碧南~吉良吉田も当時はまだ電車が走っていました。
 
 
吉良吉田行きが発車すると今度は「西中金連絡・猿投」の板を付けた3700系
猿投~西中金は既に電化が解除されレールバスが走っていました。
 
これにて撮影は終了、というかこれ以降フィルムに何も記録されていませんでした。
どうやって帰ったかも全く記憶にありません。