ツボヤキ日記★TSUBOYAKI DIARY -258ページ目

ツボヤキ日記★TSUBOYAKI DIARY

映画 [新作・旧作・TRAILER] を中心に、ツボにはまり、ボヤキもチラホラの果てしない
日記になるか、カッカッしながらも、とほほの日記になるか・・・
ツボとボヤキで「ツボヤキ」日記。では参ります!




こちらに来て頂いている皆様へ

いつも楽しいコメントありがとうございます。
当方はTBを覚え経てでアチラコチラ、
ウロチョロさせていただいておりますが、
これからもヨロシクお願い致します。

なんだか、こちらのBlogが重い、というアドバイスを頂きました。
新参モンの拙いボヤキまくりの世界になっているよーです。
文章長くなって、申し訳ないッ!
も少し、端折れよ~という声も聞えそう(苦笑)
はい!『Ray』と、もう1本だけ勘弁してください。
どーやっても端折れない・・・バカバカッなヤツです。

と、ゆー訳で、皆様にペコリの気持ちで
メリー・クリスマス~~♪

■2046

●トニー・レオンの王家衛監督作品集大成とも感じられる名作(迷作!苦笑)ではないのか!《ocean-filmsのTRAILER》見ただけで、その立ちのぼる色香にノックアウト。アジアのレトロモダンなイマジネーションには目眩がしてくる程に魅了される。

これは、王家衛と共に、「花様年華」 同様、今回も無論、編集・プロダクションデザイン・衣裳(Film Editing & Production Design & Costume Design)と、ここでも変わらぬ美意識が発揮される張叔平(William Chang Suk Ping ウィリアム・チョン)、そして撮影はクリストファー・ドイルという王組の面子が揃っているから仕上がる舞台だ。

映画館に入った。えらく観客の少ない事に拍子抜け。それでも映画は始まった。
まず、頭に浮かんだのは、この『2046』は、日本公開バージョンなのか?だった。
出来るだけ、先入観を取り払おうと、珍しくも神妙&謙虚な態度で臨んだわけだが、木村拓哉の起用、そして木村拓哉登場場面の構成は、とうとう最後まで解せなかった。

映画『花様年華』『欲望の翼』の流れを踏まえて見せてくれる辺りは、当初予測していたものを大きく裏切ることはなかったが、今回、木村拓哉を出す事により、削除場面30分、という感想を持った。
木村拓哉を起用した事で、使えば、その後の辻褄合わせに時間が費やされる。無駄な時間を見送ったという印象は否めない。
無機質にも成りきれない、表情のないナレーションが続く・・・それも日本語で延々と続く事に、物語のリズムが壊された。途中、また出てくると小汚い幼稚なアジア男の表情作りを見せられ、再度日本語で喋る様子。解せない。
実際に最初のオファーの際から時間が経過しても予習しないタレントを起用したのは王監督だから罪作りだ。
そこで、今までの王ファンとして当方は、深~い溜息を吐きまくらねばならない。
そーいうわけで、トニー・レオン演じるチャウの想像の世界『2046』から1960年代へ戻るという列車の様子も、彼を起用したがための辻褄合わせに終始したような印象が強く、うだうだと蛇行するばかり。




で、映画の結果?、そりゃもう、『2046』は主役を演じたトニー・レオンに救ってもらうしかない。
そのトニー・レオンはといえば、かつて演じた『欲望の翼』のあの賭博場へ出かけていく様から、『花様年華』で出会うことになったスーへの思いまで、『2046』というこの映画の中に見事にずるずると引張り込んじまった。
トニー・レオンは、チャウという男の不甲斐なさや情けなさ、過去に踏ん切りをつけれない不良中年の思い切りのなさ、体面繕ってニヤケた表情で誤魔化す男をずるずると演じきった。無論、王家衛も撮るだけ撮った中からふんだんに使って(まだ使ってないフィルムいっぱいあるでしょうよ)、贅沢の極みさ。
で、スー(マギーの方)は女冥利につきるってもんだ。だから、あん時・・・って、もう遅い。この映画は、「後悔先に立たず」の真骨頂さね。だから周囲の女は辛いわ、バイ・リン。チャン・ツィイーって、上手く演っている。

物語は後半、1度終ったかに見えながら続いていく。その前後の流れが、時間と記憶の流れ方をまるで波のうねりのような感触で伝える、そこに当方、はまりました。





マギー演じたスーと、賭博場で出会った女は同性同名。その片手黒手袋の賭博師に扮するはコン・リー。当初、チャンは前半でちょいと出たコン・リーを、今回は旬の女優として上回ったわい(いい、とても哀れで良い、ツィイー!)、などと思ったらイカンです。スー扮するコン・リーは、見る者に僅かな登場時間でその存在感をいかんなく発揮、示し、圧倒。この貫禄。巧いや、これが女優。チャン・イーモウで育った先輩は違う。そのコン・リーとトニー・レオンの長丁場のキスシーンはなかなかの優れ場面として記憶に残る。

マギー演じるスー・リーチェンは、もっと僅かで瞬く間に過ぎ去る記憶のシーン。
これまた、脳裏に刻み込まれるが、これは映画『花様年華』を見ていればこそだし、欲を言えば映画「欲望の翼」見ていればこそ、溜息もん。タクシーの中の一瞬、君はクィーンやね。我、卒倒(苦笑)。

王家衛映画では、フェイ・ウォンも悪くはない(あの鼻から口元にかけてがいただけないが)。「恋する惑星」同様に、ちょっとエキセントリックで、愛情過多の宿屋(東方酒店ってネオンだからオリエンタルホテルって風でいいんだろうが、旦那が大家って風で実にいい。ハルピンで声楽やってたって父)の娘だから許せもしよう。しかし、日本語のお稽古場面、長過ぎ。アンドロイド長過ぎ。
露出狂的姐さんのカリーナ・ラウは、苦手中の苦手だったが、『欲望の翼』のミミ役の延長線を、『2046』では実に的を得た表情でおさまった。こりゃもう、レベッカ・パンの後釜。しかしアンドロイドの部分、長過ぎ。
チャン・チェンは本当にチョイ役。タキシード姿の似合うチンピラ・ドラマー。チャウの作品上の男としても僅かに登場するが、僅かだから、キツ~い目線で印象付ける。しかしね、チャン・チェン知らない層には、何が何だかワッケわっかんな~い~の連続だ。ドン・ジェは、跳ねッ返り娘を愛らしく演じてみせて・・・まあ、瞬間芸みたいもんだわな。愛らしい。

宿というか、ホテルのネオンサイン横は、絶好のロケーション。いやはや、見惚れる構図デス。大掛かり風に見えるレトロ・フィーチャーなCGもムードを盛り上げ、クレジット部分まで引張っていく。スタイリッシュ大盤振る舞い。




中国に返還されて、50年後、そこはどうなっているか。
中国が改革解放を掲げ、香港は中華人民共和国のS.A.R(Special Administrative Region/特別行政区)であり、今後も一国二制度(世界初の試み)で行くと声明したのは返還時の97年。
同時に、香港の地位に関する行政、立法、司法、金融、社会・生活様式等に関する、中国と英国との間で84年に結ばれた合意文書が宣言された。
但し、これらの方針と政策は50年間変更しないという期限付き。つまり、遅くとも50年後には変更するのさ、って事。早ければジワジワと変えていくさ、という不気味さだ。

香港人たちがあの日呟いた、明日への不安。英国植民地からの脱した所で、手放しでは喜べない諸事情がそこにあった。
あの日から、例え、50年の時が経過しても、明るく開かれた扉の前に立つことはない、と王は思っているか。



『2046』になっても、人は変わらない、変われないまま、捨去れない思いだけが吹き溜まっていく。
そんな頃には自分はもう存在しない、それだけは確かなことだ。作り手の王監督も、40代を迎えたチャウもそこには存在しない、のだろう。死を迎える前に、思い残す事はないか。あるとすれば君の思いは、なんだね。


過去に出会った女を思い続けて生きている男を、愛の残骸と呼ぶのなら、愛とはなんと残酷なものなのか。
ただただ、後は年を重ねていくだけだ、という男の呟きが紫煙と共に充満する。そして、男も消えていく。


チャウが生きている間だけに通用し、続いていくチャウの愛の物語。
それを見た君が、記憶に残すのだ。
思い出とは、そーいうものだ。一人で抱いて始末するしかないのさ。




時代考証など小賢しい部分に触らないままで良ければ、『欲望の翼』でヨディが死んでいなければ・・・ミミの思い違いで万が一、ヨディが助かっていたら。
ヨディから頼まれてルル(ミミ)を香港へ送ったチャウがその後、スーと知り合う前にブエノスアイレスに飛んだとしたら・・・チャン・チェンの年代が合わないか、じゃ・・・とおバカな当方の想像は再び果てしなく続く・・・。
『欲望の翼』のエンディング。あの場面、当方はクリスマスだ、と思うことにした。『2046』であの場面が鮮やかに蘇えるなんざ、見せてくれたもんだね。


王家衛のこの路線の映画としては、矢張りトニー・レオンは一先ずお開きとなるのか。王家衛映画の中で、トニー・レオンは、香港男の愛しさと甲斐性なしの王道(花道)を極めた。一部の映画ファンには、アジア男の色気を醸し出した俳優として記憶に刻まれるだろう。


これは、アジアの中年男が一人の女に執着する愛の物語。
奪うべき時を逃した男の苦々しい記憶の断片。
であれば、今回、王家衛が作り上げたかった物語、映画のイメージは分かるのだが。
そういう贔屓目で、過分な思い入れが手伝ったとしても、要らない場面が多すぎた。省けば、極上に仕上がったに違いない、だろ?。
音楽は相変わらず、いい音源を並べてくれた。
クリスマスにはキング・コールの「クリスマス・ソング」、コニー・フランシスの「シボネー」。
ディーン・マーチンの
「スウェイ」 は、前回『花様年華』では、キング・コールが歌った。
ザビア・クガートでドキドキさせられ、レスリーを思う。
オペラ「ノルマ」からは、夫婦で稼ぐアンジェラ・ゲオルギューの「カスタ・ディーヴァ」。
ネットの先輩、駱駝老師が上海で購入してくれたDVD。北京語版だからトニーは吹替え。出だしは同じだが、部分的にやや短い。4分程度のカットか。
それ見ても思う。王が日本語にエキゾを感じたとしても、イカンよ。冒頭のナレーションは、広東語であればトニー・レオン。北京語吹替えは致し方ない。そうでなければイカンよ。せめて、途中からクロスして声が変わる、言語が変わる位はやっていただなかないと、イカサないぜ。

ところで、この映画『2046』=『ニーゼロヨンロク』なのか。
「ニーレイヨンロク」ならわかるんだが・・。これって、今風な言い方なのか。教えてください。(2004年:製作国香港/英公開2004年10月15日/9月香港・上海公開/日本公開2004年10月23日/アメリカ公開2005年8月5日)





▲Official international site (English)


▲Official French site


▲Official Japanese site.


▲Official US site

TRAILER BGM:Siboney by Connie Francis
Official Site Japan  台湾
International Trailer B & 9 koria Clips  
Cine Moves Clips
Cannes  4 Clips (Extrait 1-4):
韓国版Trailer&clip
International Trailer
Clip 1    New Trailer


●Directer & Screenwriter:王家衛 Wong Kar Waiウォン・カーウァイ
●Cinematography:杜可風/Christopher Doyleクリストファー・ドイル
●Cast:梁朝偉/Tony Leung Chiu Wai トニー・レオン 章子怡/Zhang Ziyi チャン・ツィイー 鞏俐/Gong Li/コン・リー Carina Lau /カリーナ・ラウ 王菲/Faye Wongフェイ・ウォン 
張震/Chang Chen チャン・チェン  張曼玉/Maggie Cheung マギー・チャン 木村拓哉/Takuya Kimura 童潔/Dong Jie ドン・ジェ 李屏賓/Ping Lam Siu リー・ピンビン


タイトル: 2046
タイトル: ウォン・カーウァイ スペシャルコレクション / 『2046』<=>『in the Mood for Love ~花様年華』

■モーターサイクル・ダイアリーズ/THE MOTORCYCLE DIARIES
(原題:Carnets de voyage)

●1952年、医学生時代の23歳のゲバラが年上の友、アルベルトと南米をバイクで旅する際に綴った日記「THE MOTORCYCLE DIARIES/モーターサイクル南米日記」と、共に旅したアルベルト・グランドの回想記と実際の話を元に、映画化されたロード・ムービー。

映画を見る前の段階で、後のキューバ革命に立つゲバラの若き日を振り返るには特別の思いが込み上げてくるのかもしれないと思った。スパニッシュのTRAILERがとても良いイメージをかき立ててくれたのだ。同時に『カンヌ映画祭』開催中にネット上で見た、アルベルトの姿と、常に傍についていたガエルの姿が印象的だった。

さて、本編を見終えた。主演は、ガエル・ガルシア・ベルナル。『アモーレス・ペロス』以降、この作品は特に見逃せない一作となった。また、アルベルト役を演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナ、この二人のスクリーンの中での生き生きとした表情に引き付けられた。


映画は、時折りドキュメンタリー・フィルムのような様子を見せる。
彼等の旅行く先の、そこに生きる人々が実際に登場するからだ。見ていて確認をしていた。これは1952年の設定で間違いないのか、と。共産党夫婦や案内役を買ってでる少年のリアリティ。配した監督の目が確かだったからこそ、また、考え込む。
場面場面で登場する人々の様子は、ゲバラが書いた日記とアルベルトの記述と記憶に従って描かれたはずだが、真実味を与える人々の様子と、実際に今、現地で暮らす人々の様子に、どれだけの違いがあるのだろうか、と不思議な気持ちに落とされた。

チリ、ペルー・・・50年以上も時が経過して、いったい何が変わったのか。国の中心部に行けば、それなりの格好をした若者が蠢いているのかもしれぬが、山間部などの経済変化、流通の経路、そして人の生活は変わったのか。貧しさはどうなった。調べるしかないか、とまたまた問題を抱えることになった。

映画の為に再現されたであろうハンセン病の施設。医師や修道女たちと患者の住むエリアを隔離する深く暗い河が横たわる。
隔離施設は無くなったものの、一般的な人々の偏見に満ちた視線は、いまだに消えてはいない。映画の中で扱われた手袋の意味。これは伝染病ではない、と改めて、この映画で取り上げてくれた事に有り難いと、思う。
何度も何度も、間違った認識を払拭し、語り続けねばならない現実が日本にも、どれだけ残っているか。それこそ気が遠くなる程だ。



この映画は、演技やセリフなどへの注意を怠らなかった。
例え、若き日であろうと、主人公はゲバラである。そこに、偶像化されたヒーローの匂いや神聖化された伝説の男、英雄視されたゲバラの姿が重なってはならない、と意図したのだろう。これはあくまでも二人の青年が旅をして行く中で、出会った人々により彼等の視界が次第に広がって行く、という物語なのだ。
そこで、声高な褒め言葉、その類いの表現を排除し、当時のブエノスアイレスに育った青年らしい会話を盛り込んだ。二人の青年の生真面目さと、邪気のない明るく逞しい様子が伝わる。それが、見る側の想像でその後の彼等の生き方に繋がるのだ。作り手の思いは、彼等がまだ、目覚めていない、観客に目覚めたように思わせてはならない!と、熱のこもった内容が過剰反応を起さないように、実は坦々と穏やかに綴られている、と当方は納得。

バイクの廃棄を見送るアルベルトの姿は、まるで愛馬を亡くした少年の涙。いや、彼等は大切にしたものとの別れの辛さを知っている若者だった。
ゲバラの喘息の発作がどの程度のものなのか、想像出来ないままだったが、アルベルトの証言あってのガエルの演技だと思うが、この発作を抱えて最後の地まで約15年の旅をするのかと、改めて革命家ゲバラへの思いを馳せた。

前半で、ゲバラの両親を演じた俳優の様子も良い。幼いゲバラの重い喘息に苦しむ容体を見かねた両親は、一家をあげて避暑地に移る、そーいう親なのだ。母親役として登場したメルセデス・モラーンの短いながらの好演。映画では描かれなかったが、あの当時、癌におかされていたはず。この母親がいたから、ゲバラがヤンチャでもどこか生真面目さ、一途さのある青年に育ったのだと、納得させられるじゃないか。映画の配役、そして演じる妙とは、このようなところにある。
話がズレない事。まず、観客が見て不可解な点を残さぬように埋めるのは俳優の技であり、それが容易く出来なければ、監督が編集で創意工夫、それもダメなら愚作と呼ぶ物を見せられることになる。

ゲバラについては『ボリビア日記』と、あくまでも当時の銃殺刑はボリビア政府の決定だと嘯く元CIAのフェリスの手記しか、読んでいない。そこで、いったい皆がどんな風にゲバラを呼ぶのか知らなかった。映画の中でゲバラ自身が、また、アルベルトが『おいッ!』『おいッ!』と呼ぶ。そして、彼の行動に引き付けられる人の姿。そうかぁ、ゲバラの周囲にいた者たちは、こんな風に『Che(おいッ!)』と発して、ゲバラを呼んでいたのか、と想像が膨らんだ。
Che Guevara チェ・ゲバラ。『おいッ!ゲバラ』と、気軽に、親しみを込めて呼ぶには訳があったのだ。

映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』では、役を演じる俳優の力が備わっていた。製作のロバート・レッドフォードを前にして、監督サレスが妥協無く撮りたかった絵を撮り、彼らしく編集したのだと思うのだが、出来上がった映画からは、監督サレスの思惑や視線よりもむしろレッドフォードの視線を意識した。

この映画を一等胸熱くして見たのは、製作総指揮者であるロバート・レッドフォードだ。
ポール・ニューマンがプロデューサーでもあり、レッドフォードをキャスティングして、実在した二人の西部のアウトローを描いた映画があった。


『Butch Cassidy and Sundance Kid/明日に向かって撃て!』。
この映画は、ウイリアム・ゴールドマンが、8年の歳月をかけて脚本化にこぎつけたという優れたシナリオで、ジョージ・ロイ・ヒルによって、悲痛な物語に終始することなく、当時のアメリカの社会背景さえ見事に反映させた名作。アメリカ公開は1969年。つまり、68年頃には製作が始まり、撮影も開始されていたのかもしれない。
レッド・フォードは現在、自身が主宰する映画人育成の場を『サンダンス・インスティテュート』と命名しているが、この映画の役名に由来するのだろう。その彼の、一等思い入れが強いと予想する映画のシナリオで用意された舞台は、ボリヴィアだった。
ゲバラが暗殺された翌年、遅くとも翌々年に『Butch Cassidy and Sundance Kid/明日に向かって撃て!』が撮影された。当時、映画『Butch Cassidy and Sundance Kid/明日に向かって撃て!』は、脚本家と監督、そして製作人達が納得ずくで、ゲバラ流儀を以って最後の闘いの場をボリヴィアとした、と思うのが筋だろう、と当方は思っている。

ゲバラが暗殺された翌年に世に出た『ボリヴィア日記』と『The Motorcycle Diaries』を当時のレッドフォードは、どのような気持ちで読んだか、と映画を見終わってその思いを想像する。
随分前からこの映画化の権利を持ち、自らがゲバラの役を演りたかったに違いないレッドフォード。この映画には、彼の並々ならぬゲバラに対する思いが、根底に脈々と流れている、と思うのだ。
老いたベルナルドを目にした時、巧いな、と唸った。

因みに、ゲバラの本名は、Ernesto Rafael Guevara De la Serna(エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)。アルベルトを演じたRodrigo De la Serna(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)は、名字を見れば?と思えるように、偶然にもゲバラの再従兄弟(はとこ)だったという。

キューバ革命は、この6年後、1958年年5月だった。そして、ゲバラが暗殺されたのは、映画にもあるように1967年10月9日。映画が描いた若き日の、この時代から15年で、ゲバラはこの世から消えた。

ガエル・ガルシア・ベルナルは、実にナイーブな様子を見せ、情熱的なゲバラの若き日を演じ、冴え渡っている。今年の
カンヌ映画祭 での上映の模様は、既にご存知だとは思うが無冠に終わった。プロデューサーが自ら映画祭を主宰するレッドフォードであった事も関係したのか。カンヌでの先行上映で、ヴェネチア映画祭は自祭での上映の先を越されたと相当におカンムリだったとか。それだけ、注目度の高い作品だった。事実、アメリカでもプレミア上映以外で既にかなりの注目度であり、既にゴールデン・グローブ賞の外国語賞にノミネートされた。(2004年:製作国イギリス・ドイツ・アメリカ/9月24日LA&NY/拡大公開10月1日/日本公開10月9日)

Trailer(Youtubeに変更)

Official Website




●Directer:Walter Salles ウォルター・サレス
●Screenwriter:Jose Rivera=「THE MOTORCYCLE DIARIES/Che Guevaral
●Cast: Gael Garcia Bernal Rodrigo De la Serna ロドリゴ・デ・ラ・セルナ Mia Maestro ミア・マエストロ Mercedes Moran メルセデス・モラーン Jorge Chiarella  Susana Lanteri スザーナ・ランテリ Jean Pierre Noher ジャン・ピエール・ノエル Gustavo Pastorini グスタヴォ・パストリーニ
※またまた、長くなって申し訳ない。

追記:TraikerやClipはリンク切れ。TrailerのみYoutubeに変更、Clipは削除しました。時間の経過ですか…切ないです。アチコチ、リンク切れもあり、このブログのTBも実はアメーバーのアドレス変更で過去のはこちらに飛べなくなっていることに今頃気づいた次第。む、むむむ。。。。2009年1月9日。

2月19日へ飛びますッ
■トラベリング・ウィズ・ゲバラ
~モーターサイクル・ダイアリーズ



※発売未定が決定になりました。
■モーターサイクル・ダイアリーズ コレクターズ・エディション
発送可能時期:発売予定日は2005/05/27。予約受付中。
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル, ロドリゴ・デ・ラ・セルナ, その他
監督:ウォルター・サレス
通常版も併せてリリース決定。

■モーターサイクル・ダイアリーズ:サウンドトラックCD
■エルネスト・チェ ゲバラ関連書籍