2023 を振り返る | 波太の日々精進 (サーファーだった人)

波太の日々精進 (サーファーだった人)

家族に対する思いや出来事。
いつか家族が見た時の備忘録。
ライフワークとして30年続けたサーフィンを息子の野球をきっかけに止めてしまったおっさんの備忘録。
いつか妻や子供達がここを見て俺の心境などを知ってくれたらという備忘録という名のおっさんラプソディー。

 

2023という年が終わる。


この1年家族にとって大きな出来事が連続した年になった。


義母の逝去、息子の県外生活、俺の単身赴任もろもろ。

 

コロナが終息し、世の中もこれから明るい方向に向かうという雰囲気。

その中にあってもともと持病持ちだった義母はみるみる容態を悪化させ、闘病を続けたが快方に向かう事なくこの世を去った。

最愛の人を失った義父は立ち直れず今も在りし日の義母を思い出し涙している。

 

そして息子が県外の高校に入寮が決まり、家族の中でも

”息子との生活もあと少し・・・”

みたいな雰囲気になっていき、夜な夜な嫁は何度も泣いていた。

ま、嫁に関しては寮に差し入れしたり、顔を見にいった後の別れ際には必ず泣いている。

母とは皆そうなのかもしれない、可愛い我が子の成長を促す為とは言ってもいつまでも自分の可愛い息子である事は変わらない。

だから息子が年末年始に帰省した時なんてべったり。

妹達もべったりしていたが、とにかく世話をしたがる嫁。

息子もそんな女性陣達に囲まれても嫌な顔1つしない。

 

その姿を見ていて、

‟俺が父親の割に本当に優しい子に育ってくれたな・・・”

と感じてしまう。

それもこれも嫁であったり義母や義父の教育の賜物なのだが。

 

息子にとってこの1年は初めてづくしだった。

親元を離れて県外に出て、初めて高校野球というものに身を投じた。

TVで見ていた憧れの県外有名校との試合だったり、先輩がドラフトに掛かったり、また将来のドラフト候補と対戦出来たり、NPBスカウトから有用な情報を聞けたり。

あっという間の1年だったのではないだろうか。


夏後からベンチ入りし続けたのは、生真面目な性格からその姿勢を買われてである。

能力だとかポテンシャルより生活態度や姿勢を評価されてだろう。

 

1年でまさかベンチ入り出来るとは思っていなかったが、秋からかなりの試合で登板させてもらい、本人も前向きに部活動や勉強に勤しんだ。

 

一方で本人はまた技術的な停滞であったり、他校の同学年との差をひしひし感じ始めているようである。


マスメディアや動画サイトやライターの方々から注目選手して取り上げてもらえるのはありがたいが、まだ自分はそのレベルに達していない事を自覚しているようだ。


周りは担ぎ上げるから仕方なくそれを演じてしまっている部分が見えるのだ。


この周囲の評価だけが上がっていくのに焦りを感じつつ、本人もレベルアップを目論んでいたものの、中学時代から大きな進歩は見られない。


年末年始の帰省時に体重を+5kgにはしたものの、あと7kgも必要である。

 

 長女は思春期ならではの悩みを抱えて鬱屈とした日々が続いている。

彼女はまだ自分が没頭出来るものに出会えていないから、それを彼女なりに探している。

いつか何かを見つけたら背中を押してあげたい。

14歳らしい、とても14歳をしている。

来年は受験に入る。

色々な誘惑や葛藤があるのがこの14歳、15歳だろう。

大丈夫。

お前は大丈夫。

でもその悩みやモヤモヤはまだ取れない。でも焦らず自分を見つめ直しなさい。


次女に関しては相変わらずすくすく?身長と頭の回転が成長していったこの一年。

時々、ドキっとする言葉を発するくらい頭の回転が速い。


来年はついにランドセルを背負って小学校に行く。


早いな


つい最近まで赤ちゃんだったのに。



来年は平和で楽しい毎日が続くといいな