こんにちは。
緊急事態宣言が延長され、仕事以外に殆ど何処にも行くことが出来ない日が続いていますので、帰宅後はここぞとばかりにNゲージを弄っています…。先日、レイアウトにコルクシートを敷き詰めてみました。シート1枚あたり300×450mmの広さで、これを18枚ネット通販で購入。これを敷くと走行時の音を吸収してくれるのでとても静かでいい感じになります。これに情景を作っていけば失敗してもシートの一部を取り換えればいいだけなので気軽にジオラマが作れそうです。ところが敷いてみて初めて分かったのですが、コルクって匂いが結構するんですね。全部で18枚もありますから、肥料のような何とも言えない匂いが部屋に充満してしまいました。ネットで調べると、風通しを良くしておけば数日で気にならなくなる様なことが書かれていましたので、寒さを堪えながらコロナ対策も兼ねて部屋の換気を小まめにすることに…。すると匂いは徐々に落ち着いて来たのですが、部屋を閉め切っていたりすると、忘れた頃にふわ~んと香りが漂ってきたりします…。もう暫くは辛抱が必要な様ですね。
さて気を取り直して、今回の本題です。先日、うちにも「KATOのED19(省形ヨロイ戸)」が入線しました。うちの鉄道では3輌目のED19形となります。流石KATO、いつも通りの素晴らしい出来栄えです。今回は以前に入線した2・6号機と比較しながら見ていきたいと思います。
【実車について】
KATO ED192
ED19形は、大正末期にアメリカから6輌が輸入された小型の電気機関車で、ボールドウィン+ウエスティングハウス製となっています。デビュー当初は6010形という形式でしたが、S3年の改正でED53となりました。始めは国府津に配置、数年後に東京に転属し、スハ32系(ダブルルーフ)による湘南列車の牽引に使用された様です。これら6輌のうち、1・2号機は御召列車用で、3号機も御召整備をされたことがある様です。
KATO ED194+ワム90000+ワ12000
そして、S12~13年にかけてED533~6号機はED191~4号機へ改造され、仙山線に投入されます。この時、車体側面の通風器が省標準形(1・2号機は横並び形、3・4号機は縦並び形)へ、正面窓下にあった大きな砂箱が撤去され動輪の各軸に2個ずつ省標準形のものが取り付けられ、スノープラウの取付けに伴いデッキステップの変更等が行われています。S16年には、ED531・2号機もED195・6号機へと改造され甲府区へ移動しますが、太平洋戦争が始まってしまったこともあり、改造は簡略化され車体側面の通風器や砂箱等はそのままとされました。
KATO ED196+タキ35000
S18~19年にかけて2・4・5・6号機が豊橋区へ転属し、飯田線で使用が開始されます。一方、1号機はS19年に西国立区へ移動となり、3号機は甲府区へ移動した後にS23年に豊橋区へ転属します。そしてS25年には2号機が日立水戸工場で先行して電気部品の改善工事を受けます。その約5年後のS30~31年、残りの5輌も浜松工場で改善工事を受けることになり、外観ではパンタのPS15化、避雷器のLA12化、正面窓の小型化(1号機を除く)、砂箱は1軸1個に変更等が行われます。なお、5号機だけは車体が溶接構造に変更され外観が大きく変化していますが、6号機は砂箱が標準形に変更されたものの側面通風器はオリジナルのまま残されました。
KATO ED194
S30~31年には2・3・4号機が伊那松島区へ、S34年には1・6号機が中部天竜支区に転属します。またこの年には、全機とも屋根上のベンチレーターがグローブ型からガーランド型へ変更されています。そして、1号機がS35年に伊那松島区へ、5号機もS36年に伊那松島区へ転属します。S40年代になると、3・4号機の省形側面通風器が縦並び形から横並び形へ変更され、その後、避雷器も全機ともLA15に変更されています。そしてS44年までに全6機が伊那松島区へ集結し、S51年に引退するまで飯田線北部で細々と貨物列車の牽引に使用されました。なお、現在は1号機が長野県の箕輪町郷土博物館に静態保存されています。
2・4・6号機の晩年の主な特徴
①パンタグラフ、②避雷器、③正面窓、④側面通風器、⑤前照灯の位置、⑥標識灯、⑦砂箱、⑧その他、⑨廃車年月日
ED192
①PS10B(PS14?)、②LA15、③大型で縁あり、④省標準形、⑤前方へ張り出し、⑥電車用(骸骨形)、⑦1・4軸大型、2・3軸標準、⑧パンタの取り付け位置が他機より前へ出ている、ジスコン棒の筒が短い、正面ナンバープレートの位置が低い、⑨S51.3.19
ED194
①PS15、②LA15、③小型、④省標準形、⑤前方へ張り出し、⑥機関車用標準形、⑦すべて標準(1・4軸は位置が高い)、⑨S50.11.25
ED196
①PS15、②LA15、③小型、④原形、⑤標準、⑥機関車用標準形、⑦1・4軸小形、2・3軸標準、⑧デッキステップが原形、元御召用機関車、⑨S51.8.6
【模型について】
KATO ED19(省形ヨロイ戸)
実物のED19は6輌とも全て異なる形をしています。今回のED19(省形ヨロイ戸)はKATOのHPによると、S40年代後半の伊那松島機関区所属の4号機がプロトタイプとなっている様で、側面通風器が省標準形、正面窓は小窓、パンタグラフはPS15、等が特徴となっています。
走りは滑らかです。音は比較的小さく、過走は殆どしない様です。ヘッドライトは進行方向側が点灯し明るさも色も良い感じだと思います。なお、パワーパックはN-1001-CLを使用、個体差や私の主観・好みもありますので、記載内容はあくまでも参考程度ということでお願い致します。
側面の様子(左が第1エンド)
ED192
側面通風器の形状が省標準形(横並び)となっていて、パンタグラフと避雷器が他機に比べて両端に寄っているのが特徴です。
ED194
側面通風器の形状が省標準形(横並び)となっていて、パンタグラフと避雷器が2号機に比べて中央に寄っています。ボディ側面は2号機と同じ様です。
ED196
側面通風器の形状が原形となっているのが最大の特徴です。パンタグラフと避雷器の位置は4号機と同じになっている様です。第1エンド運転席窓の下にはボールドウィンとウエスティングハウス社の円い銘板が表現されています。またナンバープレートの下には改善工事を担当した浜松工場の銘板(楕円形のもの)も表現されています。表記類の位置も2・4号機と区別されています。
側面の様子(左が第2エンド)
ED192
第2エンド運転席窓の下にはボールドウィンとウエスティングハウス社の円い銘板が表現されています。この機関車だけ改善工事を日立水戸工場で行ったため、ナンバープレートの下に浜松工場の銘板はありません。
ED194
第2エンド運転席窓の下にはボールドウィンとウエスティングハウス社の円い銘板が表現されています。ナンバープレートの下の浜松工場の銘板の表現は省略されています。
ED196
6号機は第2エンド運転席窓の下にもボールドウィンとウエスティングハウス社の円い銘板が表現されています。
正面の様子
左から順に2・4・6号機、第1エンド側より。
2号機は正面窓が大窓で縁有り、ナンバープレートは低位置、標識灯は電車用となっています。パンタグラフは大きなPS14です。また乗務員扉のモールドやその左側のステップの位置も4・6号機と異なっているのが分かります。一方の4・6号機は正面窓が改装後の小窓、標識灯は機関車用、パンタグラフはPS15になっています。正面窓の違いで、顔つきがかなり変わるものですね。
屋根の様子
上から順に6・4・2号機です。こうやって見比べると、2号機のパンタグラフの位置が他機に比べて外側へ寄っているのが分かると思います。また4号機の屋根上は6号機と似ていましたので、製品では同じ型を使っている様です。2号機については他機との違いをもう一歩表現して欲しかったところです。どちらも価格上昇を抑えるための策なのでしょうね。
裏面の様子
第1エンド側と第2エンド側で動力台車がA・Bと区別されています。矢印の向きが第1エンドになります。
左写真:第1エンド側ブレーキシリンダーの様子。ブレーキシリンダーのテコにハンドブレーキのテコが付
いています。分かりづらいですが写真の中央部にあります。
右写真:第2エンド側ブレーキシリンダーの様子。ハンドブレーキのテコはありません。この様に第1エンド
側と第2エンド側の台車の違いを表現しているので、左右の台車にA・Bの区別がなされているの
だと思います。
左写真:先輪の大きさをD51(右)のものと比較してみました。ED19(左)の方が少し大きいですね。スポー
クもD51が8本に対して、ED19は10本となっています。
右写真:付属品類です。ナンバープレートは1,2,4,6となっています。ひょっとすると、1号機の製品化も
視野に入れているのかも知れません。
終わりに…
KATO ED194(省形ヨロイ戸)
クラシックなスタイルのED19ですが、若い頃は湘南ボーイ(?)だった様ですね。うちの鉄道では、飯田線を意識した小編成の貨物列車を中心に使っていますが、気まぐれに湘南列車のイメージでスハ32系客車(丸屋根ですけど…)を牽引させて楽しむこともあります。
箕輪町郷土博物館に静態保存されている1号機(元ED533)はT15年生まれということですから、今年で御年95歳になります。古い機関車ってイイですねぇ、いつか見に行きたいなぁ。
参考文献
とれいん1975年2月号(No.2)、1986年10月号(No.142)
今回参考にさせて頂いた、とれいん1975年2月号の表紙を1枚めくると…
KATO、いや関水金属のキハ82系の広告が載っています。このキハ82系、当時のそれまでの製品とは一線を隔す素晴らしい出来栄えでしたね。このキハ82系がS50年に発売されたことを考えると、とても感慨深いものがあります。因みに、この本は私が小学校低学年の頃に買って貰って、ボロボロになるまで読み返しました。思い出の詰まった一冊です…。
では皆さまも、しっかりとコロナ対策をして御身大切になさって下さい。
本日もご覧いただきまして、ありがとうございました。