こんばんわ
今朝は小学校の読み聞かせの当番日。
気分よく快晴
なので子どもたち運動場から帰ってこず読み始められない、
けど大声で読み始めたらあわてて着席する子どもたち。
抱きしめたくなるほど愛おしい。
のつづきです。
逆境にあるとき
知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず
(ちしゃはまどわず、じんしゃはうれえず、ゆうしゃはおそれず)
知恵のある者は、事を成すにあたって迷いがない。
仁の徳がある者は、何事も心配することがない。
真の勇気がある者は、恐れることがない。
『論語』の一節である。
ファイターズは挑戦者だ。
2017年、18年と2年連続で日本一になった福岡ソフトバンクホークスを
どうにか倒さなければならない。
栗山さんが心がけているのは、蓄積した知識を総動員して、
これまでの試合から学んだものを有効活用し、
相手の予想を上回る戦略を描き出すことだ。
定石や流行に惑わされることなく、
情報を取捨選択して勝利への最適解を見つけ出す。
つまり「知者は惑わず」である。
「相手の方が強い」という現実にも「仁者は憂えず」だ。
「監督として能力がないと思われたくない」という憂いを取り除くと、
「ここは相手が上かもしれないが、こう戦えばその部分を補える」
という発想が生まれてくる。
また選手が伸び伸びとプレーでき、将来につながる起用を考える。
自分の利益ではなく彼らの成長を優先する「仁」の心に基づけば、
自分本位の過ちを犯すことはない。
勇者は勇敢な姿勢を持っているが、
そこには慎重さや熟考する姿勢があるはずだ。
玉砕覚悟で挑むのではなく、負けることの怖さを知ったうえで志を貫く。
チームの目標達成に全力を注ぐのが、真の勇者の姿である。
信じ抜くこと
深沈厚重
中国の儒教者、呂新吾による名著『呻吟語』(しんぎんご)の言葉。
頭が切れて雄弁であるよりも、
無口でどっしろと落ち着いている人のほうがいい、
という意味である。
自分の評価や噂などを気にすると、
人間は集中力を欠いてしまう。
野球選手ならば、メディアの批判に一喜一憂する選手はプレーに波がある。
今はSNSで誰とでも気軽に繋がることができ、
一見オープンな交流が広がっているように見える。
その実、常に他人からどう見られているかを
気にしている人は多いのかもしれない。
承認欲求は誰の心の中にもある。
しかし、誰かからもらう「いいね」は、そんなに大切なものだろうか。
あなたの心を豊かにしてくれるだろうか。
栗山さんが監督に就任したとき、
「栗山ごときがなんで監督をやるんだ」と批判された。
さらに、2013年に大谷翔平が入団して彼を二刀流で起用すると、
猛烈な向かい風を受けることになる。
身体ごと吹き飛ばされそうな批判を浴びたことは、
一度や二度ではない。
しかし、大谷がプロ初勝利をあげた試合後、
吉村浩チーム統轄本部長にこう言われた。
「監督、何十年後かに評価してくれる人が、
必ず野球の世界にいると思いますから」。
そして、「これからも様々な批判はあるでしょう。
でもいつかきっと、野球界のためになる決断だったと
評価してくれる人が現れますよ」と。
「これはダメだ」という指摘は、その人の感覚によるところがある。
客観的な材料を提示せず、単に否定するだけの意見を気にすることはない。
「なぜそう言われたのか」と内観し、あとは苦しまなくてもいいのである。
野球人として目立った実績や経験ない栗山さんを支えたのは、
「野球ノート」。
やっぱりメモや日記は大事だなと思った1冊でした。
ツバメが卵を産んだようです。
今日もカモミールを干しました。
春から夏に変わったなと実感しています。
では、また明日^^