期待の原則 | ふーちゃんのブログ

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こんばんわ新月
 
 
 
 
 
湯郷温泉の河川敷を散歩しました。
朝は冷え込みましたが昼間はポカポカ陽気でしたので、
若いお母さんが幼子を2人連れて太陽を満喫されていました。
こんにちはと言ったら、こんにちわと幸せに充ちた声が返ってきました。
こちらもしあわせで胸がいっぱいになりました。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
衆議院予算委員会に出席したあの女性の内閣広報官が、
返納される金額が70万5千円であることを知って、
いったいお給料はいくらだろうと調べましたら、
月額117万5000円だそうでビックリしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
岸見一郎さんの「与えることと与えられること」のお話から。
 
 
 
世の中はギブ&テイクの原則で成り立っています。
ただ取るばかりで与えない人はいませんし、
取らないでただ与えるばかりというような人もいないので、
意識的にするのでなければ利己主義的にふるまうことはできないからです。
 
 
 
三木清は、『人生論ノート』のなかで、
このギブ&テイクの原則を「期待の原則」といっています。
与えることには取ることが、
取ることには与えることが、期待されているということです。
 
 
 
 
ところが、利己主義者は期待しない人、信用しない人です。
期待しない人というのは、
与えたら返ってくるだろうと考えられない人のことです。
与えたら損をする、だから与えない。
見返りなどあるはずがない、そんなことは期待しない。
期待すると、損をする、
信用すると裏切られると思うので、人を信頼することもできません。
 
 
 
 
与えたら返ってくることもあれば、返ってこないこともある。
まれに返ってこないことがあっても、そんなこともあるくらいに思える。
これが「期待の原則」です。
 
 
 
たとえば、急に雨に降られた人に余っていたビニール傘を貸したら、
数日後には傘は返ってくるでしょう。
返ってこなくても、そんなこともあるものだとそのことを忘れてしまいます。
 
 
 
 
ところが、そういう発想ができない利己主義者は、
ギブ&テイクの原則を期待の原則ではなく、「打算の原則」として考えます。
つまり、他の人に何かをしたら
必ずそれ相応の見返りがあるはずだと考えて、
見返りがないと怒り出したりするのです。
 
 
 
打算的にならないためにはどうしたらいいのか。
三木清は「受取勘定」という言葉を使って説明します。
 
 
 
「人間が利己的であるか否かは、
その受取勘定をどれほど遠い未来に延ばし得るかという問題である。
この時間的な問題はしかし単なる打算の問題ではなくて、
期待の、想像力の問題である。」
 
 
 
受取勘定というのは、
与えたら受け取れると期待できる見返りのことです。
利己主義者は遠い未来まで勘定を持ち越せず、
今すぐに受け取れなければ損をしたと思います。
 
 
 
しかし、ギブ&テイクには長い時間がかかる場合があります。
普通の人は受取勘定の期限を先延ばしにできますが、
利己主義者はそれができません。
すぐに見返りを期待する人は、たとえば、
子育てや介護をすることは難しいでしょう。
 
 
 
ギブ&テイクが短い時間の幅で行われるものと考えたら、
幼い子どもは与えられるばかりのように見えますが、
成長すれば与える側になります。
そう考えられる人は、
受取勘定を「遠い未来に延ばし得る」人ということになります。
 
 
 
 
しかし、子育てや教育を期待の原則で行うとしても、
その期待の内容が問題です。
三木清はこのことに気づいていたのでしょう。
 
 
「期待は他人の行為を拘束する魔術的な力を持っている。
我々の行為は絶えずその呪縛のもとにある」。
 
 
 
子どもには、魔術的な力を持つ親の期待に反して行動することは困難です。
期待の原則は、
与えたものが返ってこないことがあるのが前提のはずですが、
子どもが期待に反することをした時に、
親はそれを受け入れないかもしれないからです。
 
 
 
だからこそ、三木清は
「我々の生活は期待の上に成りたっている」と言ったあとに、
「時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ」
と言っているのです。
 
 
 
「世間が期待する通りになろうとする人は
遂に自分を発見しないでしまうことが多い」。
 
 
 
世間や親の期待を満たそうと思う人は、
自分の人生を生きることはできません。
 
 
 
どうすればいいでしょうか。
 
 
 
教育に限りませんが、
他者に期待しないことです。
最初に見たように、
取らないでただ与えるばかりというような人はいませんが、
それを期待してしまうと、与えられないとガッカリすることになります。
 
 
 
子どもがやがて親の声がけに微笑むようになると、
ギブ&テイクが瞬時に行われ、親は嬉しいでしょう。
しかし、そのような反応がなければ子育てをしないというのはおかしいのです。
 
 
 
幼い子どもはまわりの大人から不断に援助されなければなりませんが、
ただ与えられているかといえばそうではありません。
生れたばかりの子どもでも、人に与えられるものがあります。
 
 
 
それは「幸福」です。
 
 
 
子どもが生きているだけで嬉しいですし、
その時、先のことなど考えていません。
 
これだけ子育てで苦労したのだから、
いつかそれをこの子が返してくれるだろう、
その時、今の苦労は報われる、とは思わないでしょう。
 
 
 
そんな日を待たずに、
今ここでともに生きられる幸福を感じられたら、
期待の原則も必要ではなくなります。
ただ与えることだけを考えればいいのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山が少しづつ萌えてきました。
桜のつぼみも膨らむことでしょう。
岸見さんのこの文章を読んだときは、
よく理解できませんでしたが、今回のことでストンと腑に落ちました。
 
 
 
見返りを先延ばしにできる人。
期待は他人の行為を拘束する。
 
 
 
夫もわたしも「断わる男と断る女」で生きてきてよかったなと思います。
それにしても、あの内閣広報官美しい人ですね。
 
 
 
では、また明日^^
 
 
 
 
 
 

 

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